まず、考古学Archseorojyアルケオロジーと、歴史学history の違いから説明する。簡単に書く。
文学lettersレターがあるものからあとが、歴史(学)だ。遺跡の中の碑文や刀剣に文字があれば(それらを
解読することで)歴史学の対象となる。文学や文章がなければ歴史学ではない。土器や石器や住居跡だけなら、
それは考古学アルケオロジーの対象だ。まず、このことをはっきりと自覚している者が、歴史学者を含めて
日本にはどれだけいるのか。文字や文献の出現からあとが、歴史の対象である。
その以前は、全て、先史時代pre-historicプレ・ヒストリックである。
「先史時代」のことは、だから、歴史学が扱ってはならない。歴史は史料(文という歴史資料)のみに
基づいて、なるべく厳密に、厳格に考証・研究されなければならない。
史料の取り扱いがいい加減で、自分勝手な「事実のふくらまし」をやったら、歴史学者としては、命取りである。
石碑や古文書を史料として、かつ、そこに書かれていることをなるべく厳密に取り扱って合理的な推論
(リーズニング reasoning)が成り立つ範囲で、当時の世界を記述するのが、歴史学である。
ただし、歴史学 historyは、人文 humanities ヒューマニティーズの一部である。であるから、厳密には、
物語storyストーリーの一部に過ぎない。サイエンス(学問)ではない。
世界の学問の分類基準では、厳密には歴史学は、人文(学)の一部であって、サイエンス scienceではない。
歴史学者がどんなに頑張ってもそうだ。ここでの分類問題では、これまでに私はたくさん書いてきたので、
いちいち争わない。
文学・石碑・文献・古文書のあることについてだけ、それらだけを証拠として、厳密に取り扱う。それ以外の
ことは、すべて勝手な解釈だ。歴史の読み物を書いている書き手の物語(作り話)だ。
たとえ著者が歴史学者の肩書きを持っていても、勝手な物語は、勝手な物語だ。だから、歴史学は、
人文=下等学問(=文学)の一種なのだ。おそらく、どんなに、厳密なサイエンスの振りをしても、考古学
(の論文の類)も、歴史学と同じく人文でしかないだろう。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P175~177