>>58
真言宗ではセックスしている大日如来の秘仏を、どう解釈しているんですか?
これが昔から気になっていました。
秘仏だから直接見た事はありませんけど、美術書で大乗・密教・ヒンドゥー美術として
写真としては見ています。更に女の子に人気のインド雑貨屋さんに行くと
かなり際どいミニチュア像が売ってますよね?(あれ、良いのかな?秘仏なのに)
一般的には大日如来(男性役)は対面座位で観自在菩薩(女性役)とセックスしています。
また他にも後背位や大日さんが観音様の片足を持ち上げた立ちバック対位とか
ガジュラホでは何と大日如来さんが4Pまでしてます。
仏像とはアイコニックな存在ですが、何のメタファーか?何の為のキャラクタリゼーションなのか?
調べてみると、出るわ出るわ、様々な多種多様な解釈が。
・セックスを終えた後の(いわゆる賢者タイム)静寂が仏法に入る入り口説
・セックスで生み出す天地創造説
・見てはいけない仏像を見たのだから功徳がある説(超越性無し)
・見てはいけない仏像を見たのだから祈念を辞めると人生破綻させる説(超越性無し)
・仏のセックスを見て対立二元論的な分別知を粉砕しろ!説(超越性有り)などなど、、、

この「超越性」というのはベンヤミンが言う所の「気散じ」からの私の主観。
それぞれの説に展延性は無いが「既成概念と獲得概念」や「マルチモーダル」を私は感じてしまう。
ブチギレた旦那が息子の首をはね、嫁に怒られて息子の首を探しに行くが見つけられず
代わりに像の顔を持ってきて「この顔で勘弁してくれよぉ」と嫁に謝る所からガネーシャは誕生したと言うが
それが大乗の仏になったり隠れキリシタンのデウス様(大日さま)になったり
衆生の需要予測に答えてくれる優しい汎用型仏なのかも知れない。大日様は。