日蓮や創かとはなにかと言ったらルサンチマン宗教。
弱者による強者への恨み辛みだな。

ニーチェはキリスト教徒に、弱者による強者への恨み辛みを見てとった。
キリスト教はローマに支配された宗教で、キリスト教徒は自分達を弱者の立場から救い出すために、弱者である自分達が善であり、強者であるローマは悪であるという教義を作り出した。
この弱者が強者に対して優位性を正当化しようというねじ曲がった精神を、ニーチェはルサンチマンと定義した。

日蓮や創かも弱者キリスト教徒と殆ど同じ道を辿っている。
日蓮が生きた時代は念仏や禅が大人気。
田舎坊主の日蓮は誰にも見向きをされない。
そんな弱者日蓮が自分の存在意義を保つには、自分を善にすること、自分を偉大に見せることだった。
その為の振る舞いが、人気宗教を筆頭に自分以外の宗教を邪宗と扱うこと。
そして国主に上から目線で日蓮の法華経信仰が絶対正しいと諫暁した事。

創かはこの日蓮のルサンチマンを戦後日本に体現した宗教。
創価は教祖を国家権力に獄死させられたりとか、池田の大阪事件とか、権力対弱者民衆という構図を作り上げた。
牧口が実際やっていたことは、法華経を用いた戦争の推進であり特高警察への協力だったにも関わらず。

創かの努力というのは、弱者が強者に優位を保つための典型的なルサンチマンの努力。
そう価の努力は、功徳や宿命転換という交換条件を得るための努力だな。
たとえ強者に勝てなくても、教団の為に努力すれば功徳や宿命転換を得られる。
この功徳や宿命転換は、どんなに強者であっても正法を知らない悪で謗法だらけの一般人には絶対得られないとな。