そして、日蓮は法華経信仰の再興を目指し、念仏僧との闘争を開始する。

しかし、その闘争は決して宗教の枠内に収まるものではなかった。
日蓮の意識は、為政者に向けられている。
日蓮は、為政者が称名念仏を止め、法華経を根本とした政治を行うことで、
世は安穏になると確信していた。

日蓮は、国に起きる災害と為政者との関係を次のように記している。
「今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば
之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし
大禍ありと云う事を」(法蓮抄)

日蓮が目指す法華経信仰の再興には、まず為政者による法華経信仰が必要であった。

これは現代の民主社会に生きる者には、多少なりとも違和感のある思想に
うつるかもしれない。
しかし、仏法が、そもそも国家の安穏を目指したものである以上、
為政者の信仰を最優先したのは当然の帰結であった。

日蓮の主著が「立正安国論」であり、為政者に提出した建白書だったのも、
この文脈から理解する必要がある。