>>246
ようするに鎌倉の評定所で、平左衛門頼綱から諮問を受けたときは、
鎌倉幕府としては、すでに蒙古に対する臨戦態勢が完了した時期で、

あとは蒙古水軍が攻めてくる精密な日付の軍事情報が必要で、
そのときに、空の雲の具合をみる限り、今年中には来るのでわ?
などと言ってるのんきな占い師気取りがいたら、
そんなこたーわかり切ってるんで、バカかこいつは…、
となって身延追放となったんでしょ。

で年表的に重要なのは、日蓮教が歴史を無視して自画自賛してる部分で、

〇1274年(文永十一年)、佐渡流罪を赦免となり鎌倉にもどり、
四月八日に平左衛門の諮問を受ける。

〇同年10月20日、蒙古水軍が博多に上陸も、翌日には撤退する。

〇1275年6月、撰時抄に、去年蒙古襲来を予言して当てたと書く。

※安国論と同じ手口で、蒙古軍が博多に襲来したのを現実に見て確認した、
その翌年にとつぜん、じつは去年の予言が当たったんだけど…。
とご真筆の撰時抄に書いて、主張をはじめる日蓮さまです。

日本ダービーがゴールした後に、やっぱコントレイルが
来ると思ってたわ、とつぶやくおっさんですが、
その手に握られた馬券には、5番の数字は印字されていません…。