日蓮ってver.54
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前スレ日蓮ってver.53
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1584615968/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 嘱累品第二十二に明確な説明がされているのに本門重視の本仏論唱える人がよくわからない 日蓮や法華経を語る人ほど嘱累品 第二十二 を読まない。
日蓮や法華経を語る人ほど嘱累品 第二十二 を理解したがら無い 一切衆生悉有佛性 これの拡大解釈、得手勝手が誤謬の根。
人には佛となる可能性が在る、と保証するだけのお話。
他人様の仏性を認めるのは当然、互いに礼儀を護り失敬は避ける。
法華経というお経を解釈した人にも仏性は在るが、仏様の境涯で在ろうか?
例えば、貴方には登山家としての素質が備わっていると見いだされたとしても、
登山の訓練をこなし技術を身に着け登山しなければ「登山家じゃない」
仏様になる可能性を自らに肯定するからこそ、菩提心を起こす。
偉そうな坊さんや他人の意見に迷わされたり惑うのはお止めになる時期でしょう。
これで俺は大丈夫!は慢心なのかもしれません。 >>98
富士派と身延派を相対させて客観的にわかりやすく説明いただければと思います
それぞれ自派の教義が正しいと主張するのはわかるのですが
喧嘩に例えると一方の言い分だけで物事は判断出来ませんので >>104
規定の問題であろうと思います。
両者の概念によって、日蓮の漢文体の訓じ方が後に違ってくることでしょう。
前スレ者の質問には「当の日蓮さんはどちらの思いでこの部分を書いたのでしょうか」ということでした。
この問いには、まず日蓮が自覚を検討しなければなりませんが、これも規定をどこに向けるかということにもなります。
日蓮からすれば仏教は釈迦の教えになり、その釈迦の数多くの経典群の中から重視されたのが法華経になることは間違いないかと思います。
その法華経に則って検討するということでは見宝塔品、従地涌出品が基準にならなければなりませんね。
釈迦と多宝如来の二尊、地涌菩薩の四士、これえを二尊四士といいまして従地涌出品の場面での配置が浮かぶことでしょう。 日蓮は最初に書かれた尊ぶ言葉を文字にした「南無妙法蓮華経」には四士がなく
文永9年6月16日の佐渡にて二尊が脇士に描かれていますが、この曼荼羅の相貌は見宝塔品での場面を窺い知れるかと思います。
翌年の10年4月に書かれた観心本尊抄の経過はこの曼荼羅から1年も満たしていないようです。
脇士に首導四菩薩を配列させるに日蓮の思いはどのようであったかを察するにしても、
後の宗派の教義が規定になりますので、両者が原点に戻って純粋な議論されるのは困難でありましょう。 私としては身延派の方が法華経に沿って解釈しようという思いは一応は伝わってきますが、
いきなりに佐渡始顕本尊など出すようなことでは話は変わってきますす。
その身延派の分裂も結局は法華経から離れていくことになるのですね。
法華経の従地涌出品に、弥勒菩薩が地涌菩薩を拝見し発したこのような言葉が有ります。
「此の諸の仏子等は 其の数量るべからず 久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり
善く菩薩の道を学して 世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し 地より涌出し 皆恭敬の心を起して 世尊の前に住せり」
日蓮が忠実であるならば、蓮華の姿を譬えた地涌菩薩の上行を自覚ていたものだと解釈した方が無難でありましょう。
私見ではありますが、終わらせて頂きます。 >>96
なにを仰しゃる兎さん。
観心本尊抄のこの記述は、本仏論と本尊の貌抄の両方を示しているのですよ。
本尊の中心は、本仏(久遠元初の仏)たる「南無妙法蓮華経 日蓮」であって、
「本門(久遠実成)の釈尊」は、あくまでも脇士なワケです。
ゆえに「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」と、本尊の相貌を述べている。
ここは、五重相対の種脱相対にあたります。
決定的に、身延系や他門流と一線を画すのはここです。 グリドラクーダでお釈迦さんは頭からビーム出すじゃない?
でミクロ菩薩が文殊菩薩に「やべえよ!これ一体何?」と質問
文殊菩薩は、この状況自体が過去にもあり未来にも存在しうるヴィジョンなのだ!
と、現象実相をフッテージとして諸法実相を表している!と語るけど、これってミクロと文殊のクローズドな私的会話ですよね?
日月灯明菩薩と無量義経が、この序品第一の哲学的教理なのだろうが
何故、第三者の介入により、伝聞形式で始まるのでしょうか?
ミクロ菩薩と文殊菩薩は、ハムレットに出てくるローゼンクランツとギルデンスターンの様な
「信用できない語り部」をキャリブレートする為に登場したキャラなのかな?
それとも声聞の四諦と、縁覚の十二縁起を、「菩薩の六波羅蜜と同格に扱っていくぞ!」
という、カマシなのだろうか?
(カマシというのは、法華経と維摩経という一乗収束の大乗として作劇が真逆だから、そう思ったの) 寺や本尊の格付けや権威付けするのは偽宗教
宗教の主体は個人
いかに仏に導けるかを競うのがいいですね 仏法には人が作り出した嘘を継承してしまうことを予測して
リセットする方法がありまして人によらずに法によるべしと
法に依つて人に依らざれは有名ですが四依品の一部です
依義不依語(義に依りて語に依らざれ)
依智不依識(智に依りて識に依らざれ)
依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
聖愚問答抄481ページ
「されば我等が慈父・教主釈尊・雙林最後の御遺言・涅槃経の第六には依法不依人」と
日蓮による釈尊の位置づけ引用もとの涅槃経の位置づけがうかがえる記述ですね >>112
我等が慈父・教主釈尊とは久遠実成の釈尊ということですか? >>108
法華経法師品
「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。
当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり」
諸法実相抄
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、
若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや」 お釈迦さんが、ノコノコ出て来て仏法を理解するのはチョー難しいと話す。
弟子達、特にシャーリーに
「どんなに話しても無理な事は無理だから、もう仏法を解説するのは辞めるぜ!勘弁な!」と突き放す。
シャーリーは理解できないから、もっと話してくれとお釈迦さんにせがむ。
かまちょのシャーリーにお釈迦さんは十如是(サンスクリット法華経と正法華経の違いはここでは論点とせずにおく)を説く。
この時の聴衆・弟子達の行動が謎だ。
シャーリーはお釈迦さんの方便を(二乗も三乗も根機になるという)聴き続けるんだけど。
この時既に、5千人の弟子達はお釈迦さんの前半部分を聞いて悟り
これ以上お釈迦さんの話を聞いても意味がないと立ち去ったと書かれてあるよね?
ここが疑問なんだよ。お釈迦さんの話はもういいやって帰っていった5千人の弟子達は
わかりみが深かったと言う仏法教育上のメタファーだったのだろうか?
この弟子達の二極化、二分化。
悟りを得るインチュイションが全くないシャーリーの成長物語として(シャーリーは読書の代表として)
法華経のドラマツルギーは構成されたのだろうか?
お釈迦さんの話を聴き続けたいというシャーリーと
お釈迦さんの前半部分を聴いただけで悟って、お釈迦さんを置き去りにして帰ってしまった
5千人の弟子達の対比は、何か相対的な疑念と価値観を表しているようにしか感じられない。
5千人の弟子達はお釈迦さんのバイブスをしっかり受け止めたのだろうか? >>115
日蓮は裏付けのとりようのない放言あまりにも多し、
信心は盲信に非ず、よくよく思案し現代ならば調査可能なる
資料も多い、聖教新聞社以外の一般書籍出版社からも吟味して
購入すべきだ。
何故に日蓮の文章が仏教の論として弱いかというに、
記述と叙述を区別すべきを巧妙に混ぜ、アジテーション文に仕立てる故だ。
例として A記述とB叙述を分ける例文を挙げる。
A公園に初夏の日差しが差します。
B然し梅雨が来ると思えばうんざりします。
AとBを混ぜないのが論を立てる時の基本概念。
日蓮が叡山の座主たちを罵る遺文は酷いものですよ、お読みください。 >>116
「勘弁な」「お願いしやす」
は梵天勧請の三止三請のオマージュ(パクりではない)。
こういう原始仏典のオマージュは法華経以外にも多々ある。
五千人退去も何かのオマージュだったはず。
五千人退去は狭義には小乗仏教を信じている人。広義には既に学んだことに執着し、分かってると思い込み、他にもう学ぶことなどないと増上慢になってる人たち。
つまり大半の学会員みたいな人たち。 >>117
少しでも混乱しないように、8のステハンで議論をさせていだだいております。
まだこのスレも長くないので、できれば最初から読んでもらえたら幸いです。
>日蓮が叡山の座主たちを罵る遺文は酷いものですよ、
こちらの課題も興味はありますが、そのときは別のステハンになりますのでご了解ください。
もし宜しければ、罵る日蓮の醜い遺文を提示してもらえませんでしょうか。 >>119 入唐し真言密教を叡山に導入した
座主を罵りますね、手元に引きようが無いので
記憶で書いてますがお調べください。
貴君の方がお詳しいでしょう。
他にも盗んだやらとか何とかもありますよ。 >>120
「木絵二像開眼之事」でも言及されていますね。
推察ではありますが、
「諸天、其の国を棄て之を守護せず。此の時、地涌の菩薩、始めて世に出現し」
「此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
と佐渡で拍車がかかっていったのでしょう。
南無妙法蓮華経と己心に思わない者は、相手の機根によって折伏の対象になります。 かつて盛況だったこのスレが、これほど閑散としているのは、
アンチにどんどん仏罰が出て、それどころでは無くなったからだろう。
心より御冥福をお祈りいたします。 >>122
見方が逆ですよ、逆の現象、此処に来て
創価学会員の急減をご存じ無いのですね。 かつてはカルト会員が多かったね。
色々妄想を残してくれたものだが。
示すと言ってた池田の学術論文はいつアップされるのだろう。
手元に何本もあると言ってたのに。 このスレを覗くのも久しぶりだが、皆概ね日蓮については結論が出たようだな。
語る価値もなく、書き込むのも面倒になった。
日蓮教信者など相手にするだけ時間の無駄だよな。 >>125
日蓮は日本天台の本尊を一本化すべく努力するも、登座も叶わぬ無資格者。
学力不足、僧侶の資格無く、師匠無しの乞食僧、辻立ち説法の悪口が祟り島流し処分。
ある人曰く、漁村出身の思想家ってのは日蓮くらいの者で他には見当たらぬ。
このスレッド報告された、立正安国論が未提出論証には驚きました。
此れが在るから日蓮なわけで、無きゃ信徒は全員が詐欺被害の対象。 >>126
>日蓮は日本天台の本尊を一本化すべく努力するも、登座も叶わぬ無資格者。
#要出典
>学力不足、僧侶の資格無く、
#要出典
>師匠無しの乞食僧、辻立ち説法の悪口が祟り島流し処分。
#要出典
>ある人曰く、漁村出身の思想家ってのは日蓮くらいの者で他には見当たらぬ。
#要出典
>このスレッド報告された、立正安国論が未提出論証には驚きました。
#要出典 >>118
レスありがとう。
素人が法華経を自力で(宗教団体に入らずに)学ぼうとしている若輩者です。
オマージュの前提に、こういう宗教系って、きっとアレゴリーや寓意と言う物が有ると思うんですよ。
昨日は、同じように仏法レクチャーを拒否った(元ネタですか?)バクラについて「増一阿含経」にあたってみました。
と、言ってもアングッタラ・ニカーヤ(パーリ語版)とは一部内容が異なっているそうですが。
法華経・方便品 第二の前半は全く同じですね。
こう言うのは交響曲の第一楽章が必ずアダージョで始まるような様式美なのかな?
バクラは結局何も語らず160歳まで生きたそうですが(もうね、この時点でアイコンでしかありませんがw)
誰にも仏法を語らないと言う行動原理は、方便品第二の前半のお釈迦さんと同じですよね?
ただ気にのはマッジマ・ニカーヤとアングッタラ・ニカーヤは説一切有部が信仰していた経典ですよね
私が気になるストーリー・コンポジションは、どうしても途中で帰っちゃった5千人の弟子です。
お釈迦さんは「悟りの障害、、罪悪が深く重く、慢心が」と語り、つまり人間が持つ分別が悟りを遠ざけるとの趣旨ですよね。だからアノ五千人のクズは帰っても良いのだ!と言う悪いバイブスをガンガンにアピってる様にしか見えず、弟子達は
「釈迦マジうぜえ!」と帰っていたのかも?と想像してもいます。
そう考える理由は、「法華経は三乗も一乗になる平等思想経典」とのファクトが有るからです。
声聞・縁覚の二乗も菩薩という一乗になれるという平等思想であり
原始仏教(パーリ語経典)
小乗仏教(説一切有部)
大乗仏教
この3つの仏教も差別なく平等に受け入れようと、法華経の終盤に近ずくと平和平等思想のソリューションが顔を出すのに
何故、前半、初っ端の方便品に差別思想がカマされてるのか?ココが疑問。
とにかく一度最後までザッと読んでみたいので、この疑問はココに置いといて次は譬喩品 第三を読んでいきます。
レス、有難うございます。 僧侶の資格を持ってうえで、
日蓮を批判している奴がここにいるのか? >>127 素人は出店を望む、おっと文化会館じゃなくて出典な
君ね自分で良く考えて反論すべきだよ、日蓮という人物が
実現出来なかった願望を考えてみたのさ、形に残して弟子(居たのかね?)
に伝えようとしたのが、
寺の建物、領地、弟子数口、本尊は法華の題目、純化された天台宗寺の一派を
建立させよとした。
此れらを残そうと必死に活動を為し、不成就の生涯。 >>131
僕も素人なもんで、ぜひ出典をお願いしますよ。せんばい!( ^ω^ )
ググりましたが分かりません!
あなたなら、そんなこと簡単じゃないですか!
せんばい!( ^ω^ ) >>127
日蓮本人もしくは日蓮業者の自己申告以外に全く傍証のない話ばかり。 >>133
と、いう独り言ですかね…笑
高名かつまともな学者でそう言ってる人は
一人もいませんが。。 >>134
その高名かつまともな学者とやらが日蓮の事蹟を客観的に挙証できた事例がひとつでもあったらご教示願いたい。
なんなら件の立正安国論を幕府に提出したと日蓮業者らが吹聴する事蹟に関してでも良い。 自分の知る限りまともな仏教学者は日蓮をまともには取り上げていない。はっきり言ってほとんど無視している。
しかし日本史学者は鎌倉仏教という範疇で日蓮についても触れるのが通例であるが、出典は日蓮業者以外には無い。これでは話にならない。 >>134日蓮生存時に、京都の公家が一言も日蓮という名前を
書き記していないと報告される。
此れは在る学者(お名前は失念)が単行本で記述する。
日蓮宗各派が今あるのは、日蓮の文章の訴求力である。
但し>>136氏の仰るように鎌倉時代のある有名人の取り扱いで了。 明治以降、海外から文物が日本に流入し当然仏教書も多数という状況が到来。
個人としても、教団としても仏典、原書を求め多くの調査団が派遣される。
教団では大谷探検隊が有名である。
ここでは法華経に関しての個人ならば、川口慧海氏を掻い摘んで取り上げたい。
氏はチベットのある寺院で経蔵を調査中、チベット訳法華経を見出す。
第二回入蔵時の報告、「十如是は無く、五如是のみが記述される」
チベット訳はインドからの経文を正確に翻訳と定評がある。
漢訳よりも正確と見極めて川口慧海氏はチベットへ入ったのだ。 138の続き、慧海氏は曰く、志那で興る一念三千はあり得ない論となり、
天台の教学も崩壊する。
此れを指摘すると、ロンドン仏教と揶揄的に非難をされる方が必ず現れる。
そして漢訳仏典の方が、歴史が長く重要なりと依怙贔屓な論を立てる。
当方は、十如是とは鳩摩羅什三蔵の付け足し翻訳で御座いますと指摘する。
「出典、講談社学術文庫」を読むに
印度本国で法華経の名前が大いに普及せず終わった理由が解明されている。
江戸時代末まで反論が無く通用したお経の中身を検分と検証、真を求めた川口慧海氏の
功績は偉大である。
紹介意見に不服ならば、諸氏は出典をお読みください。
川口氏は、法華経のみならず各宗旨の依経も俎上に挙げておられます。 139の継続 後世の我々が日蓮氏の持たない資料を持ち込んで批判するのは、
「後出しじゃんけん」のルール違反と感情を害されるかも知れない。
個人が善き意見を述べるには、新発見の有無が必要と言えまいか。
私が、日蓮筆の曼陀羅を検分し梵字の誤りを発見した時の感想を述べるに
「曼陀羅というが誤字付きを配布、日蓮は無自覚であったらしい」
梵字の難度は、平仮名を習得し次いで左右を習う段階とご理解願う。
自動車学校ならば一段階目、ふらつかずに真っすぐ進めの程度。
何処がどの様に誤字かは諸氏の研究に任せる、資料は天台真言で共通。
板曼陀羅のサイズ云々よりも仏様の誤字を通すにおいて、わたくしは不服。 138から140訂正お名前は
川口慧海氏(誤)
河口慧海(正)です。
氏の著作「正真仏教」推奨します。
氏は真に勇気ある人物でしょう。 京都本隆寺所蔵の日蓮真筆天目授与本尊(授与書きは日興筆かもしれない)
のコピーは寺で販売はされてないですかね
日蓮真筆本尊の中でも特に好きな書体なので >>141
鎌倉時代の昔とは変わって、今の時代は便利になっているな。
誤字ひとつとっても、直ぐ訂正ができる。
「やどや」だとか「梵字」だとかの誤字が、そんなに重大なことか。
>梵字の難度は、平仮名を習得し次いで左右を習う段階とご理解願う。
君は誰に忖度して述べておられるかが知りたいものですなw
独創的な日蓮のほうが余ほど面白いではないか。 >>143
誤字がどうであろうとも、誰に忖度していようとも、日蓮がデタラメであることには違いがない。 >>143 仏、菩薩、天みな夫々に種字を以って法界の標識表を表す。
梵字体を誤ると越三昧耶と看做される、出鱈目は容認されるものでは在りません。
なんみょうほうれんげっきょう これで良いのか?発音が違いますよね。
間違いは訂正してあげるのが親切じゃないですか?同様なお話です。 >>139
一念三千法門が間違っていると
論証できていないから教義の破綻も
崩壊もない。
論証してみますか? >>145
君は何宗なんだ。
日蓮は法華経を第一と考えていたのは此処の誰でもがご承知。
「梵字体を誤ると越三昧耶と看做される」などと、それもどうでもいい話だな。
折角に君が頭と時間を漬かっているなら、もうすこし興味がわくような事を述べてくれや。
親切だろうにw、同様なお話ですわ。
法華経に越三昧耶などという文言があるとか無いとかも、
調べてから批判するべしなw >>146
ほっ〜 それは楽しみですな。
139氏も頑張ってくだされ。 >>146
一念三千は志那と日本で持てはやすそうです、
五如是しか本来無かった経文を増したのが鳩摩羅什三蔵の
翻訳文。
数日お待ちください書庫にて捜索が必要です。 >>147
密家からこの様に梵字や種字の情報が漏れだしたのは
近年のことです。
法華経のどこを探したところで越三昧耶なんて言葉は在りませんよ。
充分承知の上で書いて居ります。
日蓮の誤謬、彼の浅学を指摘する過程で密教の梵字の誤りも指摘します。 一念三千が説きたいのは
三千という数字ではない。
前スレでも言ったのだがな…
別に一念千五百でも良いのです。
馬鹿には永久にわかるまいが… また、梵字について誤解をしている者がいるようなので説明すると
梵字は悉曇文字とも言われ、サンスクリットを表記するための文字
(六世紀頃に印度北部で流行したブラーフミー文字系、グプタ文字の一書体の
"シッダマートリカー体(siddham:atr,ka:)"が、仏典とともに中国に渡り、
筆による縦書きとなったものだが、元となった横書きのサンスクリット文字とは
かなり異なる。
日本では悉曇文字として独自の発展を遂げ、江戸時代あたりまで慈雲流、浄厳流、
澄禅流、智満流などのいくつかの流派も生まれたくらい多様であった。
ゆえに、日蓮の種字(梵字)の書法が誤っていると断定するのは、いささか
早計すぎるといえる。 もし、あくまでも、誤字であると主張するのならば、正しい書方を
ここに示さなければなるまい。 以下のように、大日如来の場合でも、縦長に書く書法の場合、違いがある。
https://i.imgur.com/10K5Gnp.jpg
上記を例に、不動明王と愛染明王の、正しい種字の書法を示せなければ、
日蓮の梵字が誤りであると言うことを証明したことにはならない。
ただの言いがかりでしかない。 相変わらす日蓮病患者は挙証責任の帰趨について間違え続ける。 アタマは大丈夫ですか?
証明責任を負うのは、法的、学問分野等でも、言いがかりをつけた側なのですよ。
それが常識です。
お前は間違ってる!
なぜならこれが正解だから。
と、正しい答えを示すのは当たり前でしょ。 0603 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/06/16 22:33:46
修正しておくか。
偏差値85は中三の春、全国模試(と言ったかは今となっては不明)ね。
中学では一番。(一番は珍しい)
市内でも数番目じゃなかったかな。
そこで気が緩んで勉強しなかったのは今となっては後悔もしている。
高校でも勉強しなかったけど。
まあ、遊んでばっかりの中学・高校時代だった。
そんな時代だったよ。
稀に勉強を頑張る人も居たけどね。
0604 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/06/16 22:59:41
知能指数は145とかじゃなかったかな。よく覚えてない。
受験にも入社にも関係ないじゃん。
あんなの定期的に測るの犯罪者とか精神病疾患者位じゃないの?
やっぱり俺達の世代では、ね。
↑↑ギャグ係が嘘を並べて居るのがはっきり分かる惨めな作文w
中学校単位で行う模試はそれぞれの県単位で行われる為に全国模試は行われる筈はない。
つまりはギャグ係はまともに日本の中学校に通って居なかった事実が明らかになってしまった。
知能テストも毎年定期的に一度行われる為に(特にギャグ係の世代では当然の筈)真っ赤な嘘だとはっきりしている。
恐らくは知能は145どころかその半分に満たないおぞましい数値で良くて特殊学級、もしくはほとんど中学校にすら通ってなかった形跡しか見えて来ない。
小学校時代から道を外して酒や煙草やシンナーでもやったのか、完全にギャグ係の脳は各種症状で破壊されているようだ。
まともな人間らしい会話は不可能だと思われる。 梵字を此処に書けるならば疑念は解消し、日蓮書体の梵字が誤字であると
誰でも容易に理解可能。
書き順の最期を伸ばしても読める、塔婆書き様の(Van)鎫字は、平仮名で言うなら
すの筆止め末端を伸ばしたような形状を示す。
す
|
この形なら「すー」と伸ばしても「す」と読める筈。 正しい書方で書かれた梵字を画像にして
ここに貼れば良いのですよ。
至極、簡単な事です。 158からの続き
日蓮の書体を論じる梵字のカンの
読み音は、正規には「ハン」であるが平安時代は「カン」となり現代にその音が
伝承される。
<カの一字は、地蔵の種字><上部に空点である〇点を加えるとカンに音が変じ
不動の種字><涅槃に変じる付け加えで阿弥陀の種字キリーク>に転変する。
ところが、日蓮書体において上記の阿弥陀への変化様式には進めない。
強いて記すならば誰にも読めない歪み文字が現れるだろう。
精密にはわざと書かないが、密家において秘密観法は文字を重視する。
阿字の阿は大日の種字、心中に阿を観ること即ち大日を見る等しい。
衆生の心中の阿字=導師の阿字=本尊の阿字 切れ目なく、三者は平等。
種字は観法の入り口、それが誤字では使いようが無く
如何にもならないのです。 >>159
貴君にしていただけるなら誠に幸いです。
やり方がまるで不明です >>160
><カの一字は、地蔵の種字><上部に空点である〇点を加えるとカンに音が変じ
>不動の種字>
あの〜
不動明王の種字は、カンではなくカーンですが? >>162
そうですね、構わないから伸ばしなさいよ。 >>163
いやいや…
カンとカーンの違いは長音符の有無だけで、その差は
僅かに感じますが、意味はまったく違いますよ。
その時点で、あなたの梵語への見識が初心者レベルだと
疑わざるを得ません。
https://i.imgur.com/jLqRUwJ.jpg 創価学会によって日蓮のイメージが下がった事を遺憾に思う。 >>164参考書を手元に置いて書いてないんだからこんなもんだな。
君の挙げた向かって右が音が伸びるカーンで不動、左が馬頭観音カンと発音する。
向かって左字の付け足し、上の点と曲がった線を除き、点上下立て並びを右横に二 個つけるとカクと発音、
種字の意味は金剛夜叉明王、ネタ元はただいま書庫からダラニ辞典登場とこうなる わけ。(国書刊行会)梵字の活字が非常に美しい。
この本の703ページから712ページ迄、法華経に記す陀羅尼と解説が載る。
経文からの引用、「世尊よ、若し菩薩ありて此の陀羅尼を聞くことを得ん者は、
当に知るべし、普賢神通の力なり」でございます。
>>164 鎫字、遮那の法 以下全部省略君は此れの以下の文の流れを知るや否や?
私は、そんな者ナノですよ。 不動明王は、大日如来の化身ゆえに、大日如来の種字を逆さにして
不動明王としたのでは?と個人的には思っている。 >>124
悪質ネット投稿者の特定ルール「7月に全体像」総務相
朝日新聞デジタル
高市早苗総務相は2日の記者会見で、悪質なネット投稿の情報発信者を特定しやすくする
ルールの見直しについて、「7月の段階でできるだけ全体像を示す形で提言をいただく」と
述べた。いまの開示ルールを見直す法整備の方向性を来月中にまとめる方針だ。
://news.yahoo.co.jp/pickup/6361398
名誉棄損侮辱の限りを尽くしてきた
日本に存在しない「進学率100%高校卒」(笑)統失サイコパスギャグ係
小4漢字中学英語読めない「国立理系大卒」(笑)ヘイトスピーチ犯罪者そうかそうか
タイホが近付いたようですね
まあ誰一人かまう人いませんけど(爆笑) まず新聞が嘘を書くこと止めないから
麻生曰く「嘘は法律違反ですか?」 >>164 鎫字遮那の法云々〜以下これ以後の文を君知るや?
みず知らぬ人は仕方なしですね。
省略文字化けで書き直しました。
>>168 上下逆さまに習い覚えるためしは無いと思います、鏡文字の様に阿字を
裏返しで書く場合は偶にありますが、カン字では先ずあり得ないでしょうね。 梵字教はまだいるのかw
言語も文字も本質に影響しない
梵字で幸せになるのかと自分に問えw
言葉も文字も伝わればよい
問題いは何を伝えるかだね
梵字そのものには中身が無い >>172誤字で伝わる真実って何かな?
音楽で言うならば調律の狂った楽器から、
何の芸術が伝わるか?音一個一個は何の意味もないが
それを繋げる人の意志と意図が必須で在る、だが然し楽器がダメなら
何も伝わらない。 だから誤字だという根拠がない。
>>152-154
>>156
これを読みなおせ。 >>166
>普賢神通の力なり
これはどういうつもりで書かれておりますかな?
笑わせてもらうまえに、とりあえず聞いておかないとね。 >>174 貴君は認めたくない気持ちですね、
私も公に顔を晒して言えない日蓮の難です。
たった3千円ほどで間違いのない参考資料が入手可能ですので
貴君の自己救済はその方向でお願いします。
梵字は江戸時代以降も師資相伝の課題であり、日蓮氏が習えなかったのも
首肯できる範囲です。字形は天台、真言共に共通。
>>175
在るものをただ引用しただけ、他意はない、
あんさんそんなもんかいな〜ですよ。
但し鳩摩羅什三蔵の翻訳によるものだよね。 梵字イコール密教という、
無知蒙昧に言われてもねえ…苦笑 >>176
鳩摩羅什の法華経、普賢菩薩勧発品の普賢の陀羅尼だよ。
それが不動明王の種字と何の関係があるのかと聞いているのだが。 >>176
君は全部梵字で書き込んだらどうかなw
その結果が意味するものが君の主張だ 日蓮の四箇格言は自ら法華経を否定している
法華経を汚している >>177
日蓮氏の無知からの誤謬を指摘するのみ、善く読みなされ。
日蓮の落ち度を指摘して迄、密家の僧侶方は態々、嫌われ敵を作るような軽率はしないでしょう。
私も同じく何処の誰か判らない匿名性ゆえに書き込んでいます。
>>178
おまけに付けた陀羅尼の話、だが然し法華経に不動明王は登場しませんな、
何故日蓮氏は自筆の曼陀羅に誤字を押して迄登場させたのか?
不可思議に思いますよ。
当時は真言立川流が大流行の時代、要望を無視できずに参加させたのかも?
>>179そこまでの学力は無い有学の分際、私自身もまだまだ未熟。 余計なことかもしれんが、四臂不動明王ってもいるみたいだ。
日蓮が書いたとされる生身不動明王拝見の拡大画像ってどっかでみれるかなぁ。 >>171
>>>168 上下逆さまに習い覚えるためしは無いと思います、鏡文字の様に阿字を
>裏返しで書く場合は偶にありますが、カン字では先ずあり得ないでしょうね。
アンタ読解力無いね。(^^;
バンの鏡文字だよ。 日蓮は各宗教義をいっちょかみした浅学者なんだよ
日蓮遺文なんか
近所の仏教オタクのおっさんが自費出版で出したウンチク本みたいなもん
比叡山でも高野山でも正式な資格をもらえずおめおめと帰郷
プライドが高く還俗して漁師の生活に戻るなど絶対に嫌で
仕方なく新宗教を立ち上げて一発逆転人生を狙っただけ
戸田城聖や池田大作とも非常に似た山師だよ
こんなのに騙されるのは
幼少期から洗脳を受け「レジェンド日蓮」のイメージを刷り込まれた奴らだけ >>183 そんな文字は無い、鑁字を裏返がす供養法が在ったら教えよ。 江戸時代にも悉曇文字(梵字)の流派が沢山あったくらいなんだから、
断言はできない。
基本的に、根拠の無い反論は、私見による感想でしかない。 >>186
君が云うような沢山在った梵字の流派を挙げるべきだね、
君が述べる事情は作り話。
慈雲尊者「梵学津梁」江戸時代を引くまでもない、仮名文字の書体ならば
「いろはにほへと」を書き間違う人が日蓮。
鑁字は、金剛界大日如来の種字、一字心密言なり、(密教大辞典より一部抜粋)
このVan字を裏返して供養や法界標識に使う事例は未だ聞き及ばず。
在るならば後学を益するがゆえに実例を挙げられたい。
手ごろな参考書、川勝政太郎著「梵字講話」が筆順、種字、体文、摩多、十二点など等、
昭和55年度復刻版に詳しい。 >>184
牧口の名前を上げなかったあなたはよく分かってる 創価学会によって、日蓮=法華経=創価学会=最低の坊主となってしまった。
気の毒な日蓮さん(笑) おい、おい、
日蓮曼荼羅の不動・愛染明王の種字の話をしてたんじゃね〜のか? >>191 日蓮氏の読めなかった資料が今ならお安く貴方のお手元に届きます。
そういう事情を言うとるんですわな。(私の挙げた二冊で33、000円程度)
諸氏は暇が在るなら、真言系の五輪塔を墓地で検分して貰いたい。
正面に梵字が刻まれているだろう、下から あ ば ら か きゃの五字
かの字を検分すると日蓮氏の書き様の落ち度が判る筈。
私がもしも坊さんで、檀家の前や何処かの講義でこの話をすると命の保証は無いですね。
今までこれほど「しつこく」解説する人は居なかったはずです、良い時代になりました。
もう少し暇が在る人は、お地蔵さんの梵字の「か字」をたくさん書きますと尚宜しい。 >>192
単純な人だね貴方。
曼荼羅の南無妙法蓮華経の南の字が違っているから、
日蓮は漢字の書けない坊主だったと、レッテルをも貼るつもりか。
もう少し深く考えないから、「鳥脳」って言われているのよ。
あの種字が、正しいとか誤りだとか、そんなに重要なことかって言いたいわ。
因みに juhoukai.la.coocan.jp/mandara/008.html の平賀本土寺 一念三千御本尊にも種字が書かれている。
一応は種字を書ける日蓮であったとも思えるし。(なんか違和感はあるがw) と、いいますか、そのぉ〜
法華経己心に梵字は必要ないだろうって話な。
単純に漢字で書けばいいじゃんな。 日蓮聖人の梵字書道に論点が逝った
流派ということを正しいと思うならどれか答えるべきは。。。 >>195
流派なんてさぁ、あの日蓮にあったのか?
一見は法華経onlyのようだが、巷の日蓮像では釈迦仏の敵になっているし。 像で思い出したが、
あの「生身愛染明王拝見」は馬ではなく本来なら象だよね。
見たことないだろうから、馬でもしょうがないかw >>193
全く単純に、日蓮の書いた梵字は書き様で字体がすでに間違っていて
代々の僧侶もその間違った梵字を踏襲するのだと私は指摘する。
此れは私の感情を交えぬ記述で在ります。
南無はナマステと現代のインドでも挨拶語で使用されております。
もう一つは正法を妙法と変えて梵語から漢語に訳した
鳩摩羅什の要らぬお節介が日蓮が唱える題目の産みの親。
少し後の時代、唯識を蒋来させた玄奘三蔵の訳経に比べるといささか精密さに
欠けるのでしょう、玄奘は多数の学人たちが討論しつつ訳を為したと言われます。
先日、君の指摘は止めてほしい物、と強く心情が伝わる投稿を読みましたが、
モノを知らぬ振りをしつつ恥をこれからも掻くのが良いか、改めて出直すのが良いか?
此れも信仰上と選択の自由であります。 >>198
それは全部
あなたの感想ですよね?
by へろゆき >>199いいえそうでは在りません。
日蓮氏は梵字の読み書きが不能、仮名文字なら「いろは」も
録に書けない学力と説明してあります。
梵字を習ったわたくしが、日蓮の作った題目曼陀羅を或る時に検分し、
どうしても読めない奇怪な文字を見出し、疑問に思いつつも
調べて「日蓮氏独自の変てこな梵字である」ことを知りました。
小学校で始めに習う漢字を挙げます、読んでください「大」「太」「犬」
大に点一つ加えただけで意味が変わりますが、大の形は変化しません。
日蓮氏は、言うならば大の字形を捻り曲げてしまいました。
貴君は参考書を購入し少しばかり研究されると、持った疑念が晴れるでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています