>>41
創価2世だから言ってるんだけどね。
自分を創価の犠牲者だと思ってる2世3世は暗いね。
自分も当然創価に恨み憎しみはあるけどさ、また、こいつにまともな人生は送らせないと恨みを抱いた創価の先輩や幹部も大量にいるよ。

でも、お互い結局は親子として生まれ、また同時代に生まれるべく生まれ、また同じ創価組織に所属してしまった。
これらは、何らかの意味があってそうなってるわけだからどうしようもない。

これらを、呪われた運命と思い込むことは出来るし、そう思い込みたいなら自分や世の中や創価を呪えばいいんじゃないの。

自分は結局、自分の考えが自分の苦しみを作り出していることに気がついた。
世間の習いの通り弱肉強食や加害被害といった基準に基づくなら、自分がやられる前に相手にやり返せとか、自分が正しいあいつが悪いで、悪を滅ぼせとなる。
これらはせっかく創価をやめても、結局は創価思考のまま。
創価は自分を正義の味方と勘違いした勧善懲悪態度だからな。

自分は加害被害を根に持ち続ける創価思考のままでは、自分は被害者のままで変わらないし、人生も苦しいままだと思った。
自分は、自分が正義の味方や被害者気分でいる創価思考は捨てることにした。
創価アンチが「創価は詐欺だ、創価はインチキだ」と創価学会を批判することが世の中を良くすると思っている考え方のこと。

自分は正義で相手は悪だとの立場をお互い主張しあって互いの立場を否定し合う戦いは、これから前向きに人生を生きたいと考えるなら切りのない無益なゲーム。
このような表面的な日常のいさかいへの執着を、仏教はリセットしてくれる。

創価親は何があっても創価依存を手放さない。
一方で、時代遅れの創価は黙っていても滅びる。
そうならば、自分が創価に対して出来ることは少ない。
創価にちょっかいを出す無駄な時間を省いて自分のために有意義に生きることにするならば、何をどうすればいいか。