物事を平面的に考えたければ、歴史は事実だね。
そう考えたいならそれでいいけど、それでは仏教の視点ではない。

歴史にしても物事にしても、全ては解釈。
事実は事実でなくて、人間が自分中心に道徳や良識などという勝手なフィルターを通して出来事を自分流に解釈して事実と呼ぶ。

自分の肉体維持を中心に考えて自分が創価から被害を被ったと思うなら、自分の肉体維持を妨げた創価を攻撃するなり訴えればいいんじゃないの。
これで話は終わり。

自分は仏教を学んでいるのでそうは考えない。
自分は肉体ではないし、物事は因果の法則で生じている。
人間はカルマを元に輪廻する。
なので、もし今生で自分がいじめられるのであれば、それは自分が過去世でそのいじめっこをいじめていたカルマが今生にカルマの法則として現れたことになる。

これは信じる信じないは自由なので強制はしない。
世の中は、因果やカルマや輪廻や縁起といったダルマ(法)により、あらゆる出来事は全て立体的に完璧に連関している。
だから、あらゆる出来事はあるがままに必然的に生じている。
それゆえに、現在の自分に生じることは、自分の過去のカルマの必然的な現れ。

この現れに抵抗すれば、それは必然的な諸行無常の流れに逆らうことになる。
人間はどうしても肉体を自分自身だと思うので、肉体維持を中心に行動する。
もし諸行無常の流れが肉体維持にとって都合が悪ければ、その都合の悪さを悪い事実と解釈して抵抗する。
しかし、抵抗はカルマへの抵抗であり、カルマが解消されなければ同じカルマが生じ続ける。
苦しみは終わらない。

物事を立体的に見れば全ては必然であり、全てが恩寵。
魂は永遠であり、肉体は80年しか使えない単なる魂の乗り物。
よって肉体維持のための敵への攻撃は、肉体への執着という苦しみや新たなカルマ生成の原因。