日蓮ってver.48
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前スレ日蓮ってver.47
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1550401813/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 >>73
なんだね?
人口増加が世界の終末だというの? 全ての語彙や概念、言質文言など言語から非言語的記号には
様々なPOVから、様々な意見を皆それぞれに持つ。
それ自体は善いも悪いも無い。 合衆国で言われる「南部福音派」「キリスト教徒原理主義者」「エヴァンジェリスト」
は聖書に書いてある事は全ての真実だと信じている。
ダーウィンの進化論は聖書の内容に背くので「進化論は嘘」だと子供達に教育する。
彼等は自分の子供を学校(公教育)に通わせない。聖書に反する事を教えられるから。
彼等の子供達は週5日教会へ行き、エヴァンジェリストボランティアによって学校の代わりに数学や理科を学ぶ。
彼等の子供達は夏休みには「ジーザスキャンプ」と呼ばれる林間学校に生かされる。
これを追い続けたドキュメンタリー映画「ジーザスキャンプ」という映画がある。
この映画に出てくる子供達の表情や発言を一度見てもらいたい。
YouTubeでこのドキュメンタリー映画のトレイラー(予告編)は無料で観られる。 エヴァンジェリストや記号論自体を問題にしたい訳では無い。
「異体同心」
この言葉から受ける皆それぞれの感じ方は同じだろうか?
この言葉自体に善いも悪いも無い。
先ず第一に、それぞれの認識の違いを考えること
第二に、それら各々の認識が「普遍性のある論証出来得る論拠」を示す事が「出来ないまま」
第三者に、社会に、世界に拡大する事には「社会病理としての危険性」も孕んでいる
全体主義、順応主義、そして恐怖政治からの大衆統制を今でも続けている
某国家が存在している。
社長会において池田大作氏は
「本当は全体主義が一番いいんだ」
と発言されたと記録がある。
池田大作氏が社会病理的不全を避ける意味で語っていたと信じたい。 >>77さん
今時に地震や台風が起きる原因は人の心によるものだと思い込んでいる日蓮信者もいないだろうし、
座談会でも真面目に話す人もいないだろうね。
本音を話せないという同心にどんな発展があるというのかが想像もつきますね。
つうか、日蓮亡き後の弟子達からしてあのようじゃぁ、ダメでっしょw >>61
故中村元先生は、論旨がヌルヌルウナギの様につかみどころが
無い論を書き込んだ。
兎に角、私に敵は作ってはいけないというウサギの様に
臆病な御方。
真に受けるべき論の箇所とそうではなく盛った箇所の
読みわけが大事なんですよ。 >本音を話せないという同心にどんな発展があるというのかが想像もつきますね。
Christianityでも同じです。カトリックでも改革派でも福音派でも皆、本音を話せません。
一つだけ例を出しましょう。
4福音書の中でも寓話趣向が少ない「ルカによる福音書」を例に挙げます。(revelation of Luke)
ナザレのイエス(キリスト)は洗礼者ヨハネに会う前に故郷のナザレに戻ってきます
ナザレのイエスはユダヤ教会にてイザヤ書の朗読をさせられます。
朗読後にナザレのイエスは民衆に「今、全ては成就されました」と発言し
イエスはユダヤ教徒から袋叩きに会い故郷を去ります。
何故、イエスはこんな発言をしたのか?という行動原理について質問するのは
全ての基督者にとってタブーなんです。
信仰には必然的にタブーを付帯する状態で存在するものなのでしょうか? >>80さん
>信仰には必然的にタブーを付帯する状態で存在するものなのでしょうか?
「異体同心」の意義はそう簡単には話せないほどに複雑でありましょう。
同志であるという組織体系の社会には、宗教という一部の同心を振舞う者達も含まれるわけでしょうけど、
それは信仰者達だけの話ではなくなります。
また、本音を躊躇せずして話せるような人間関係も怖いものです。
南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏もアーメンも唱え方は異なっても、これらの心には慈悲という同じ意義が備えられていることかと思います。
また信者もアンチも正反対の存在にみえますが、本音は慈悲心からを付帯する状態であることでしょう。
日蓮の気持ちも解らないわけではないのですが、科学が発展している今時に仏教のすべてが正しいものだとは到底いうことはできません。
このことは信仰者でも分かっているはずで、捨てるべき教義には本音を出す勇気を持つべきと思いますが、
その勇気を信者に出させない宗教に、人間の革命を語る資格があるものかと考えますし、
彼らが「異体同心」とは、このような状況であることでしょう。
前提が創価学会になってしまいましたが、一概にここの組織だけではないことでしょうね。
その点ネット上での匿名でタブーな話無しで本音が出せるというのは面白いです。 >>59
カルロスは、貰う臨時収入金が大事で褒めあげたのでしょう。
極東に居たらしき坊さんを誉めときゃ金になる。
カルロスの大学は、諸手当が安かろて。 >>82 法華経について論文書くと必ず何度も創価学会
が登場するタイプの学者だね
検索結果 | 東洋哲学研究所
「カルロス・ルビオ」に関する論文が 4 件ありました。 >>84
>タブーではありませんが?
たまに教会に行くような人達の間では確かに問題にもなりませんが
東京にある有名なイエズス会が管理運営している、あの教会(白柳枢機卿がいらっしゃった)
には大学の隣でもあり若い信者さんも多いのですが
東京の中心のメガチャーチ的存在ですので高齢の熱心で敬虔な方々もいらっしゃいます。
ネストリウス派と聖母マリア信仰がごちゃ混ぜになって論題が非共有されると
必ず喧嘩が始まります(笑顔で静かな喧嘩)
これはジョージア州アトランタのキング牧師バプティスト教会でも
サウスカロライナ州、フロリダ州のホーリーランド・メガチャーチでも同じでした。
馴染みのないキリスト教のお話で申し訳ない。 誰かさんへのレスです。
某国経済特区から第三世界を経由して、例えばケイマン諸島に作った口座へ
アジアの有名な超高層ビル銀行と、その法務部が個人的に経営している
名義人紹介会社と一緒になって格付け会社を動かします。
やがて特定の第三世界国に公益事業と収益事業を分離し
企業から分離した資産を元にした債権を発行します。
その国で法人格を得れば、持ち込んだお金の何割かはその国のトップや官僚の臨時収入になります。
それへの見返りとして名誉市民、名誉博士の称号をプレゼントされ
来訪時には国賓級の扱いになり、新聞やTVに「心優しい義なる日本人!来訪!」と
報道されます。 ごめんなさい。
他スレへのレスでしたが、誤爆しました。 >>85
みんな自由に話していますよ。
教会に行ったことあります?。
もしかして、本だけの知識ですか?。 >>88
>教会に行ったことあります?。
え?
教会に行かなくて
白柳誠一枢機卿の話が出来るでしょうか?
私は日本カトリック教会東京大教区の信者です。
>>88さんの教会、教区、宗派どちらになりますか? あ、そうだ>>88さん
ネストリウス派と景教の話を嫌われるので教会ではしませんよね?
では>>88さんは、ネストリウス派が異端審問された公会議の名前を言う事が出来ますか?
まあネットで調べりゃわかるけど
実際、教会の帰りにいきなりこんな質問をして正解を出せる基督者なんて少ないですよ。
私の言っている意味わかりますか?
私はメタファーとアレゴリーを使ってレトリックを組み立てて>>88に大切な事を伝えようとしています。 日蓮スレにてごめんなさい。
もう基督関係の話は辞めにします。 先日、書籍を繙き見るに、初心の真言僧侶が習得するべき課題として三つを挙げる。
教学、いわゆる仏教学と金胎両部曼荼羅の構造を学ぶ。
事相、供養法、難しい作法次第は四度に分かれる過程。
声明、是の説明は初段の梵字の読み書きから、この梵語を用いた言語による仏讃音楽
に至る、一部とは雖も古式インド学の部類であろう。
この教授様式は弘法大師の時代から連綿と変わらずに継続する。
日蓮が高野山近辺で密教を本当に習ったのか?
何故日蓮自筆の梵字は嘘字であるのか?
この疑問に答える日蓮宗の専門学者は居ないだろう、彼等は無視在るのみ。 書いてることは無内容な浅いシッタカだけだからスルーしてやって。 日蓮教は
ファシズム教
朝敵 反仏教 国賊 人類の敵 御成敗式目によると放火は斬首の大罪なんだけど
ものすごい数の念仏に草庵を襲撃されて焼き討ちされた?
で、なんで場所も日付もわからないようになってるんです?
挙句、日蓮が首切られそうになった?
嘘だからじゃないんですか?という疑惑 >>96
乱暴狼藉が在ったとしても、掘っ立て小屋で
煮炊きを行うカマドがひっくり返ったんでしょ。
そりゃ湯気やら灰神楽がもうもうと飛び散る。 0371 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/07 19:55:15
何度も書くが俺の同級生で専門学校へ行ったのは居ないよ。
開校以来居ないかは知らんが。
0372 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/07 19:57:11
キンマンコカルト創価は早く灘高から専門学校や短大に進むのが少なからず居るとの証拠を出せよ。
楽しみにもしてるんだから。
0373 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/05/08 08:54:02
統合失調症の脳内で妄想するだけじゃんw
お前が県内一の高校を卒業したとか言う学歴詐称が大問題なのにwww
お前が高校に居たことすら大嘘だろうw
灘高校から短大や専門学校へ行った人も居れば浪人繰り返して大学へ行けずに終わった人も居る。
ネットでわざわざ灘高校が大学進学実績以外を発表するわけ無いだろうにww
それもわからないか?
お前の卒業した高校とやらは灘高校より上か???
あからさまに大嘘じゃんかww w
それよかお前、統合失調症に加え、知能障害者だろ?
もはや末期症状( ´゚д゚`)アチャー 0388 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/08 22:21:19
灘高の最下位は、たいていの学年で早慶、どんなに悪くても、関関同立のどこかってのが
聞こえて来たが、世界の知性をトップに据えるキンマンコカルト創価の返答を待つ。(-人-)
↑これはあからさまにギャグ係の幻聴と言うか脳内妄想…
ギャグ係が県内一の進学高校は愚か高校生活を全く送ってない事がはっきり判る。
なんの迷いもなく還暦過ぎた老人が書き込みを続けるあたり、統合失調症が末期症状まで進行しているようだ。
創価を呪う余りに既に廃人(やけ酒、麻薬の積み重ね)にまでなってしまったが
こんな戦い方はアンチとして完全にOUTだろう。
308 N 2017/01/02 14:36:26
この「目に見えぬ悪しき存在」は、五陰の「色受想行識」全てに影響を及ぼし
人間の顕在意識、深層意識を操作する術(すべ)を心得ている。
また、それらの術を悪用し、人間の行動をリモートコントロールする力も持っている。
最近、日本各地で続発し度々ニュースでも報道されているが、ドライバーが突如
無意識状態になり起こす交通事故や、突破的な通り魔的犯罪等にも、
この「悪しき目に見えぬ存在」の姿が見え隠れしている。
これらの存在は、一般庶民から国家の権力者に至るまで「入其身」(憑依)する
力を持っている。
日蓮大聖人が仰せの「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」とは
この事なのである。
「鬼」とは目に見えぬ存在を指す。
440 N 2017/01/08 01:02:50
年頭に >>308 に書いたばかりだが、
昨日も、運転中に意識を失ったドライバーが
起こした交通事故が2件発生している。
「目に見えぬ悪しき存在」が絡んでいると思われる。
よくよく注意されたい。
最近も、痛ましい事故が多発しているゆえ
過去の書き込みを書かせて頂いた。 >>102 いわゆる創価学会用語、魔が出るとかいう現象をさしている。
結論から言うと、創価学会の信では、魔に遭わないのは無理で、必ず
魔に遭う事に成っている、学会員さんの実生活が
お気の毒さんで御座ります、本会に縁なき衆生は幸いなりですぞ。 >>69仮説に反論する資料が、明治以降にやっと輸入された。
理論構築が巧妙であるが故、そんなものだろうと反論されずに通用していた。
国立大の印哲で初年度の一学期目に習う仏教常一般識の範囲。
詰まり日蓮の立場が如何にも通用しない事が理解される。 >>103
良からんは一定と思えと日蓮自ら信者の不幸に太鼓判を押している。 層化では、反発心が生じたり非難を浴びまくるのは我らが信心の正しさを
示す良い兆候であるとされている
(だから、相手がどんなに嫌がってもさらに輪をかけてやってくる)
逆に、良い縁に恵まれた病を克服したと言った前向きな出来事に逢った場合も
やはり信心が正しいからだ言う。 魔が出たと宿命転換で己の信仰を都合よく解釈しましょう >>107 魔が抜けない不幸をお許しください 池田大作 >>101
以前に創価学会青年部副部長が申された。
彼の論を煎じ詰めると、
己自身の思考、教養、などを活用して、反日蓮
反創価、反池田大作カネ夫妻。
創価の教えに順ぜない人間は魔なのだ。
その場で、<本物の憑きもの>も魔だよと仰ったが
此れに対処解決できる題目は無いそうだ。 0400 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/09 19:19:00
キンマンコカルト創価は進学校に無縁なので、進学校にもツッパリ(時代だなw)グループがあるのを知らないってことかな?
俺らは毎日がビーパップ世代なので普通にあったよ。
中学浪人して入って来たのが多いんだけど、俺は現役入学組。
一番怖かったのは今は医者をやってるよ(´-ω-`)
まあ、今でも付き合いはあるんだけど。
( ゚д゚)ポカーン
…もはや開いた口が塞がらないほどギャグ係の統合失調症は悪化している。
嘘を嘘で塗り固めたボロ(長年続けて来た学歴詐称)が完全に剥がれても更に醜い嘘を塗り固めようとしている。
数人が囁く様に本当に末期みたいだ。
ギャグ係は還暦世代(少なくともかなりの年齢)と自白をしてくれたが、「進学校にツッパリグループがありその大学進学率100%の高校を卒業した」
とかのたまうギャグ係の「狂」述だけでも嘘で築き上げた学歴詐称ビルが完全に崩壊してしまった。
完全に夢(妄想)の世界から脱却せずにここまで文章の全てが嘘で塗り固められるとは凄まじい……… 魔だとか憑き物だとか日蓮教は迷信の塊。
勝手にやればいいが仏教を騙るのはやめろよ。 >>46>>47
宿屋入道と宿屋光則 (林是幹教授古稀記念号)
https://irdb.nii.ac.jp/01187/0002907745
↑さらにこの論文は、なんで御書にないこと勝手に言ってんの?
と後で気になってきて、ソッコーで検索ワード打ち込んでみた。
宿谷 しゅくや、←【検索ポン!】
すぐにヒットする(・∀・)
宿谷の滝
https://www.youtube.com/watch?v=4cnMD9_sTRM
埼玉県入間郡毛呂山町宿谷にある
宿谷(しゅくや)の滝です…。
それならさらに…、毛呂山町 しゅくや 、←【検索ポン!】
コトバンク
埼玉県入間郡毛呂山町宿谷(読み)しゅくや..
日本の地名がわかる事典の解説
〔埼玉県〕宿谷(しゅくや)
埼玉県入間郡毛呂山町にある地名。
MEMORVA
埼玉県入間郡毛呂山町宿谷の読み方
〒350-0453 埼玉県 入間郡毛呂山町 宿谷
読み方
さいたまけん いるまぐんもろやままち しゅくや
Shukuya, Irumagun Moroyamamachi, Saitama 350-0453 Japan
※※宿屋(やどや)入道は、宿谷(しゅくや)入道の漢字と読みを、
ずーっと間違え続けてた可能性があるわけか(・∀・)…。 >>112 これはさすがに日蓮利権は、ビビるだろうな(・∀・)…。
この論文もどきのあらすじは、宿屋入道の出身地が
埼玉県入間郡にあるらしく、郷土史研究の
埼玉大学名誉教授が日蓮学者に宿屋の読みを
問い合わせしたという話。
『埼玉県入間郡毛呂山町には平安朝後期に
宿谷荘が開発されたようで、ここから宿谷氏が出て
幕府御家人となって活躍した』
さらに
『現在毛呂山町大字宿谷をはじめ大谷木・葛貫・沢田等の各地に
宿谷氏の子孫が現存している。この一族及び
地名は「しゆくや」と呼んで「やどや」とはいわない』
となにやら日蓮教団にとっては、致命傷っぽい
驚愕の記述が並んでいますが…。
国立大学の名誉教授なら、宿谷(しゅくや)のほうが
まちがいはなさそうで、偏差値いくつか知らんが、
身延短大ふぜいが宿屋(やどや)を主張してもな…。
埼玉大学が正しくて、身延短大が嘘八百とすれば、
日蓮師匠は安国論を提出した相手の正しい名前を知らなくて、
宿屋入道を連呼してたってことになるわけよ(・∀・)…。
でも、対面して上奏文を手渡した設定だったはずで、
目の前の相手の名前を知らなかったんですかね?(・∀・)…。 >>113
そこで、パニックでとっ散らかった身延短大の論文は、
御書にない話を勝手に創作し始めて…。
『立正安国論を北条時頼に…宿谷最信に依頼した時、
…その時宿屋最信は奉行職にあったから取次ぎを頼んだまでで、
日蓮は宿屋氏その人は知らなかったであろう…。』
↑これやっちゃうと、もう嘘ですから、論文でも学問でもないよね。
もともと「屋戸野」間違いのところで宿屋入道とは
面識なさそうだよなー、としか思ってなかったけど、
その後立て直して、ずーっと宿屋で通して対面を保ってたから、
宿屋入道という人は、実在してたのかと思ってたわ(・∀・)…。
後の御書になって、宿屋じゃなくて宿谷の記述にさりげなく
書き換えてたりして、日蓮師匠が晩年になって宿屋じゃなくて、
宿谷が正しい名前だったと認識したところまでは、
論文でも認めてるみたいだけど、
そんなら「屋戸野」の間違いも、わざと当て字をしてるだけで、
そのあとの御書は「宿屋」と正しく書けてるから、問題ありません、
という定番の屁理屈理論も、「宿屋」が間違いならすべて崩壊してしまい。
結局、安国論は提出できてないのでわ? (・∀・)…。
それでも、さらに取次ぎを依頼して宿屋入道に上奏文を
預けただけだから、宿屋の名前をまちがえてもよいという主張なら、
その取次依頼を受け付けた担当者の部署と名前はダレよ?
という新たなギモンに答えなくてはいけないんだけど
身延山のギリギリの綱渡りは、果てしなくつづきます(・∀・)…。 >>114 ということでまた「安国論」キーワードで抽出した年表。
1260年文応元年7月 エア立正安国論をエア幕府にエア提出、
当然のことながらエアなんで、原本は行方不明。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・八年間、安国論についての記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。
…
同年4月 安国論御勘由来、←安国論幕府提出話の初出で
はじめての経験で「屋戸野」と提出相手の名前を間違えてしまう。
…
同年8月 宿屋入道への御状、←安国論幕府提出話の二回目、
宿屋は書けたけど、やっぱり提出日の元号を「正元」と間違えてしまう。
…
同年10月11日 建長寺への御状、三度目の正直で幕府提出話の、
文応元年-宿屋入道-故最明寺殿、という幕府提出三点セットが
はじめて完成し、これ以降はほぼ間違いなく書けるようになった。
…
1269年(文永六年)立正安国論の自称写本が成立(国宝中山本)
でもこれが安国論送状にある中山の「正本」だから、オリジナルの
安国論原本ってことでしょうけど…。
※文応元年版、幕府提出本の立正安国論は、もともと存在してなさそうで、
そこに第二の刺客、宿谷(しゅくや)入道が現れて、
幕府提出の作り話に、待ったをかけます…。 創価も教学の人は作り話だと気づいてるけど
商売だからやってるんでないの?
創価学会公式 教学用語検索
松葉ケ谷の法難(まつばがやつのほうなん)
草庵があった地は松葉ケ谷と伝承される。
※8月27日の記述なし 立正安国論を提出してしばらくした8月27日
内容を聞いて怒り狂った大勢の念仏衆に
松葉ケ谷の草案を襲撃された?
じゃあ立正安国論を提出したのも史実ですねふふふ 日蓮教義の害悪性は、自分の価値を高めるために他人の価値を引き下げるところ
日蓮は如実知見の眼に欠けていたので
それがいかに非仏教的な考えであるかを
まるで理解できなかったのである 日蓮は仏法における最高の智慧を悟り末法の衆生に御本尊を残した 最高の智慧?
宗祖があんなことした!こんなこともした!ならまだ可愛いんだけど
あんな酷いことされたこんな酷いこともされたと誹謗中傷ばかりw 最高の知恵というのは、あらゆる物事の本質に平等性を見ること。
つまりそれは、あらゆる物事というのは外面だけが異なっており、外面を除けば全ては同じ生命を根本にする一心同体であることに気づくこと。
それは、異なる外面に見えるものとは、一つを源とした派生であり、派生は同じ源の変容体、多様体であることを自覚すること。
それはつまり、多様体を自己の変容性として受け入れることであり、その変容を非難をせず、排除をせず、起こることは必然としてありのままを味わい、楽しむこと。
これが遊戯三昧。
日蓮ちゃんとは、この同じ源に生じる異なる外面性、つまり同じでありながら変容多様である生命のバリエーションを理解できなかった人なんだよね。
だから日蓮ちゃんは、権威があり、更に自分が気に入った特定のお経だけ祭り上げる。
それ以外のお経は劣ったものとして貶める。
更に日蓮ちゃんは、自分が気に入らない宗派は同じく劣った教えとして蔑み、劣った教えのせいで国難が起こるというトンデモ説をでっち上げる。
日蓮の本尊だろうが、空海の曼陀羅だろうが、五芒星 六芒星だろうが、陰陽太極図だろうが、それぞれは同じ源を特定の局面から表現したもの。
それぞれが真実を含み、優劣があるわけではない。
ただ、個人個人において、その個人に合う合わないの相性はある。
本当の個人の超克とは、異なって見える個人間に平等を見ること。
それはキリストが赦しと例えた表現。
ここに至れば、自分や相手は個人だ、自分と相手の考えの間に優劣があるという勘違いは消え去る。
自分と相手に違いを見ないなら、あらゆる物事を赦すことが可能になる。
赦すことが出来ない人は、決して悟っていない。
日蓮しかり、正宗しかり、創価しかり、顕正しかり。 勝劣をハッキリさせるというスタンスは確かに日蓮のものだが
”日蓮本仏”ってのは明らかに後になって捏造されたもんだろう
日蓮は開目抄でも釈迦を礼賛してるし、日蓮は日本国民に寄り添わんとする
「親しき父母」だ。 >>122
それぞれ一真理を表しているのは確かだが残念ながら物事には優劣がある
南無妙法蓮華経が究竟の真実だということ 創価と日蓮正宗のバトルが典型だけど、創価学会は正宗や仏敵や悪と認定した対象を攻撃する根拠として「間違いを見て糺さないのは悪だ」と指導していたな。
これは言い換えれば、「間違いを見て攻撃せずに放置したり赦すのは悪」ということになる。
この点について言うならば、創価学会さんは本当に輪廻転生を真剣に研究したり明らかにする気があるの?
と感じている点。
というか、創価はあえて輪廻の仕組みを明確にするのを避けているような気がする。
輪廻において生じる因果ってのは不可抗力で生じることではなくて、魂の関係性における役割分担。
魂どうしはお互い生命のあらゆる側面を学ぶために、あらゆる役柄や経験を演じ尽くそうとする。
なぜなら、それが生命の無限性の可能性の探求であり、自己を知るというか自己を永遠に深めるという生命の遊戯三昧行為を、我々は生命の一部でありまた全体として行っている神仏共同創造行為だから。
だから、正邪の戦いや究竟のがなんだっつーの。
これらは、生まれる前の中間生において、現在の敵味方どうしが魂レベルにおいて、お互い同意の元に決めた役柄。
因果とは、お互いがそれぞれ相手の立場を経験するための役柄交代みたいなもん。
役を真剣に演じて敵対し合うのはいいけど、あくまでこれらの目的は生の全体性をあらゆる角度から知り、深めようとする宇宙探索みたいなもん。
つまりそれは自己の無限の可能性の発掘作業みたいなもんなんだけど。
これが輪廻なんだけど、この行為が遊戯三昧になるのか、六道輪廻になるのかはは演者次第。
役を演じながらその演じる自分に客観的に気づいていれば遊戯三昧、役を現実と勘違いして肉体という仮の乗り物と同一化してしまうと六道輪廻。
役に入り込みすぎると、相手を憎みすぎたり愛しすぎたりして、その執着が六道輪廻を生じさせる。
相手を赦せないというのは、執着を生み出す典型感情。
日蓮や創価や南無妙法蓮華経は、六道輪廻ツアーコンダクター。 >>125
マイケル・ニュートン
『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』
『死後の世界を知ると人生は深く癒される』
と同じ内容ですね。
ブライアン・L・ワイスの『前世からのメッセージ』にも書いてありましたね。 >>19,20
以前にもお話したかもしれませんが、原始仏典においてもともと
五蘊非我(我に非ず)として説かれていたものが、
のちに無我と呼ばれ、意味が変化してきました。
池田SGI会長はこのように述べております。
「無我とは、自我がないという意味ではない。
永遠に変わらない固定的な自分というものはないという意味です。
変化、変化です。それが、自己を「空」として見ることになる。」と。
また御文や指導を引用するのは、できるだけ我見にならないためです。 >>126
自我について説明しますね。
臨死体験や輪廻は、生の不可思議というか生の目的を知る意味で非常に参考になります。
特に現代は退行催眠技術が進んでいるので、様々な過去の聖典類の引用に頼るよりも、退行催眠で得られた臨床事例により更に具体的な内容で輪廻の仕組みを解き明かすことが出来ます。
しかし、宗教団体は取り組みませんね。
その理由は、輪廻の仕組みが正確に明らかになると、過去の聖典の輪廻解釈を教団に都合良くアレンジしていたのがバレるからではないかと私は推測しています。
だからといって、現代の臨床事例が明らかにした輪廻解釈を一方的に信じるわけでもありません。
やはり、お釈迦さんの輪廻解釈の方が現代科学より100歩も1000歩も鳥瞰していると思います。
その理由は、実際は輪廻を生じさせる自我は存在しないという点です。
自我は有るようでない。
自我とは、本来空しか存在しない無の状態から登場した幻影です。
それでは、なぜ無我の状態に輪廻は生じうるのか?
この答えは、優劣や正邪といった二元性を信じてしまう宗教家は絶対理解できない点です。
なぜなら、無我の状態では二元性は生じ得ないからです。
具体的に言うならば、シャンカラが用いた無明や、現代ではフロイトが用いた投影という言葉がこの無我から自我が生じる様に適当かと思われます。
元々絶対であり包括であり愛である仏。
その仏が生じさせる自分自身の生命のバリエーション。
そのバリエーションが自分をあたかも分離したように見せかける心理投影を行うと、バリエーションが個別に見えてしまうという幻影が生じます。
この分離の幻影が自身を個別の自我と見なすこと、つまり心理的投影が独立した生命があたかも誕生したように見せかけます。
光が投影された映像が、存在しているようで存在していないのと同じです。
つまり、映像を実態を見なしてしまうのが無明です。
輪廻とは、己を個別の魂と勘違いした生命の分離の幻影です。
我々は存在しない幻影なんです。
この幻影をさも実態に見せかける為の策定が二元性です。
それは、主観と客観、こことあそこ、悪と正義といった、無我に無理矢理自我の存立基盤である分離の境界を定めるための意識による対立作りです。 意識が心理的投影の役目を果たします。
なぜなら、意識というのは、意識する本体と、意識される対象という、二元を作る大本だからです。
これは、光を投射する映写機とスクリーンに例えることが出来ます。
スクリーンに写し出された光のドットに、人間が様々な意味を見出だしていくと境界や物が発生していきます。
自我とは、ある特定の光の塊に人間という意味が与えられ、その人間という意味を付与された光の塊が自分を独立存在と勘違いし、その勘違いを元にスクリーン上で人間の生活を始めるようなものです。
自我は自分を人間と見なした己の存在をスクリーンから消し去られないために、自分を特定の光の固まりとして、その塊を維持し続けようとします。
それが他の光との境界作り、言い換えれば正邪や優劣に例えられる差を張り巡らす作業です。
悟りとは、差とりと例えられることがあります。
分離された光や光の差は存在しない。
私達は本来個別には存在しない、光の源。
スクリーンに意識を集中している自我は、光の源を知ることが出来ない。
光の源を知るには、まずは光の差を取り除いていくこと。
境界や二元性の解体。
あらゆる境界を取り去り、自分が光そのものだと気づいた時に、光の源へと帰郷する。 >>20
愛や欲望を完全に消滅させるという小乗思想を多くの人々が
受け入れるのは現実的に難しいと思います。
欲に駆り立てられたり、振り回されていいと
言っているわけではなく、仮に得られても
一時的な喜び(天界)でしかなく、しかも際限のないものを
菩提に変えていく智慧を煩悩即菩提と呼びます。
欲は生きる活力や世の中が進歩する原動力の一つ
ではあっても、それらを永続し発展させる智慧は
さらに深い精神性や哲学によるものだろうと思います。 生まれ変わりを扱ったものでは、ブライアン・ワイスと同系列の書で
飯田史彦「生きがいの創造」ってのがあった
これは、人生に行き詰まり塞ぎ込んでいた人々が退行催眠を通して前世(と仮定したもの)を
体験することによって再び生きるちからを取り戻していったという
レポをまとめたものだ
しかし、彼らは前世があるとか無いということを主張したかった訳ではない
前世療法をかけることで患者の心の奥底に潜んでいた潜在的なトラウマや原体験を
過去世というメタファーを通して追体験させる心理療法としての可能性を
世に問いたかったんだよ。 >>129
スクリーンに映っている貴方が見えるのだが、
バカに見えてるのは俺の問題なのだろうか? >>128,129
不二一元論(非二元)ですね。
以前ノンデュアリティさんとお話させていただきました。
森羅万象の現象世界は、決して幻想ではないと考えます。
諸法(すべての現象・姿)は即実相(妙法蓮華経)の姿(諸法実相)です。 >>115
今頃になっても日蓮の法螺が次々に暴かれていくのは小気味良い。 >>119
思うに日蓮は初めから仏教を生活の手段としか考えていなかったのではないか。
何処に行っても評価されなかったのは表面的な文言や所作だけを真似るばかりで真面目さを欠いていたせいと思われる。 寝れないな
いままで集めたデータで、元寇を呼んでたのは当時のミカド
義経が九朗とかなんとか、チンギスになりすましてたとかの説もあるし
日蓮はそういうの知っててなんか操作した詐偽師ってだけじゃないの
日本は元寇を追い払ったが、その無駄カネで鎌倉幕府は傾いた
そういう意味では、いまもむかしも天皇陛下と手下には問題があるばっか >>130
愛や欲望とは、肉体に付随するものです。
肉体は存在しますか?
肉体が存在しなければ愛や欲望は存在しない。
それは生老病死という四苦も同様。
本来、一切皆空であれば何処に肉体が存在するのでしょうか?
更に言えば、自我も存在しません。
それが無我です。
まず、あらゆる光、あるいはあらゆる色、あるいは万物を放出し続ける全ての源、あるいは空、あるいは仏、あるいは神が存在します。
この放出された光、あるいは色、あるいは万物が細分化された、あるいは固定的な実態と勘違いすると、個別の生命が存在する勘違い、つまり自我が発生します。
この勘違いが無明です。
肉体は、自我という光の個別の幻影が生じた時に求められるものです。
なぜなら、自我という光の断片が己を維持し続けるためには、常に消え去る危機にさらされている幻影を確実に見せる為の、幻影が同化する固形の乗り物が必要だからです。
難しいかもしれないが、ここを理解できないと、いつまでたっても小乗だあるいは大乗だといった、一切皆空であるはずのこの世を救うべきリアル世界と勘違いしたまま。
また、自分自身を仏から分離した救われるべき、苦しみから逃れるべき、悪から身を守るべき肉体だと勘違いしたまま。
自己は存在しない。
我々は元から仏。
それならなぜ救われる必要があるのか?
救われるべき何が存在するのか?
小乗にしても大乗にしても、それは肉体を救う何かではない。
この救済観念は、無我の無理解が生じさせる勘違い。
小乗にしても大乗にしても、本来の目的は、仏つまり空であり光の源である我々が、自分を独立自我という狭い枠に閉じ込めている無明を解く為の知恵。 このような自我は、ある意味ではとても役に立つ。
それは、自分を独立した存在として体験したい場合。
我々は、本来は、独立という体験を味わうことが出来ない。
なぜなら、我々の本質は一体だから。
我々は、本来は、分離という体験を味わうことが出来ない。
なぜなら、我々の本質は一体だから。
自我は、独立や分離という冒険を楽しむ子供のようなもの。
自分は自我だという勘違いは、親から離れた存在という、一時的な放蕩の体験を楽しむことを可能にする。
この楽しみは、自分はいつでも親と同じ存在という自覚があれば問題は生じない。
しかし、輪廻という放蕩が長引くと、子供は自分を親から独立独歩した個別存在だと思い込むようになってしまう。
光の断片である子が、光の源である親元から離れてしまったというのは幻想。
人間が、自分を独立した個別存在と思い込んでいるのも幻想。
この分離の幻想の仕組みを理解した上で放蕩を楽しめば、この世は遊戯三昧。
この分離の幻想をリアルと勘違いして、自分を仏から離れた肉体存在と見なすならば、苦しみから逃れられない。
苦しみからの解放とは、肉体を重視した修行や、あるいは個別の肉体を救うための宿命を転換するとかでは得られない。
なぜなら、結局肉体は幻影であり、自我を強化するものだから。
肉体は存在しない。
ただ、自分は存在するという感覚は存在する。
この存在感覚に純粋に入っていくと、気づきという観照意識のみとなる。
この観照意識は、肉体重視が作り出していたあらゆる差違の幻影を溶かし去ってくれる。
救済がありうるとすれば、それは自我が万物を細分化したゆえに生じたあらゆる違いという分離観念の除去。
観照意識の源が、我々の親であり我々自身。 >>133
質問させていただきます。
もし人間が存在しない状態において、宇宙は存在しますか? >>121
しかも全部が身から出た錆というか自業自得なんだよな。
佐渡流刑でお灸を据えたら身延の御家人の下で保護観察処分とは、鎌倉幕府は仏教に帰依していたせいか寛大だった。 しかし、彼らは前世があるとか無いということを主張したかった訳ではない
前世療法をかけることで患者の心の奥底に潜んでいた潜在的なトラウマや原体験を
過去世というメタファーを通して追体験させる心理療法としての可能性を 世に問いたかったんだよ
ワイス氏は『前世からのメッセージ』(PHP文庫 山川紘矢・山川亜希子訳)に、
愛は私達の本質です。私達は愛そのものなのです。
愛を知ることによって、あなたはより多くの喜び、健康、幸せを味わえるようになるでしょう。
お互いに愛し、尊敬し合い、すべての人々の本質的な美しさと尊厳を発見し、認めることが大切です。なぜなら、私達はみな魂であり、みな、同じものからできているからです。
私達の人生は偶然の行為や出来事の産物ではありません。人生は私達の学びと進化を高めるために、注意深く設計されています。
肉体の死によって魂が体を離れたあとも、私達の学びは高次の次元で続いてゆきます。今、終わったばかりの人生を回顧し、そこでの課題を学び、次の転生を計画するのです。学びは肉体の死によって終わりはしません。
アンドレアの深い退行体験はいつか、自分の人生と魂の本質に関するより深い理解へと、彼女を導いて行くでしょう。こうした理解は聖なる第一歩です。
私達は生と死を超え、空間を超え、時間を超えた存在です。私達は不滅であり、永遠に存在し続けているのです。
と書いています。
ワイス氏は、「前世療法をかけることで患者の心の奥底に潜んでいた潜在的なトラウマや原体験を過去世というメタファーを通して追体験させる心理療法としての可能性を世に問いたかった」わけではありません。 >>137
もし『当体義抄』が日蓮の作ならば、日蓮は、
十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり。
迷悟の二法、二なりと雖も然も法性真如の一理なり。
一心は法性真如の一理なり。夢の善悪は迷悟の無明・法性なり。是くの如く意得れば、悪迷の無明を捨て、善悟の法性を本と為すべきなり。
と言っていますが、この辺の日蓮の思想は、貴方の思想と似てるような気がします。 >>142
私が書いた文を読めばわかりますが、私はワイス氏について書いたものです。
飯田史彦氏の『生きがいの創造』も読みましたが、この本は行方不明になっていて再読できないので、飯田氏についてのコメントはできません。 >>139
「もし」ってなんだよ。
バカのオマエさんが宇宙で存在しているんだぜ。
妄想を前提にして力説するバカは日蓮と全く同じじゃねかよ。 独善と狂信だけじゃなく捏造と歪曲も得意だったようだ。
詳しくは↓のサイトで。
donaisuru.web.fc2.com/guide.html 前世療法
→退行催眠
→ヒプノセラピー
日本にはこれのマガイモノが多いが、
偽セラピストにやられると
最悪の場合、統合失調症など
重篤な精神病になります。 >>144
そんな本一冊くらいで生まれ変わりを信じるられる理由が全く理解できんな
こういうことは基本的に信仰の問題だからどんなデタラメでもあんたが信じたいことを
勝手に信じれば良いが、不特定の掲示板に書き込む以上は言わせてもらうよ >>149
私の読んだ本は一冊だけではありません。
私は、生まれ変わりはあるのではないか?と思っています。 何冊読んだらバカになったのかを念の為に言っておいたほうがいいかもよ。 量子的世界が常世といわれるものだ
それもブラックホールという宇宙の絶対的存在に収束される 輪廻転生やら過去生やら、挙句にはブラックホールだとか笑えるぞ。
そんなバカ者達に何を話すというのかね。
脈絡さえ分からずして突発的に質問するオマエは本物のバカと見える。 >>150そういう微妙な事柄は、内心の問題ですから打ち明けちゃ駄目ですよ。
意地悪な質問をします、いま日蓮さんは何処に居ますか?
と言う訳で証明不可能な事は云うべからず、
13世紀に生きていた人物の論評をやってるわけですから、以後お気を付けください。 >>137
レスありがとうございます。
「一切皆空…あらゆる現象や存在には実体がなく、空であるということ。 」
これだけの説明だと、「現象世界=幻想論」に陥ってしまうと思います。
事象の説明に関しまして、池田SGI会長はトインビー博士との対談で、
天台教学の「空仮中の三諦」から仏法の世界観を説明しています。
私なりに平易にまとめますと、
「空」とは有無のいずれでもなく潜在化している状態
「仮」とは個別の姿をとって顕在化している状態
「中」とは「空」と「仮」を貫く生命の本質
この空仮中の三諦は円融一体であるとされます。
この世には最も根源的な謎が三つあるとされ、
それが「宇宙」「物質」「生命」ともいわれますが、三諦論は
この三者の関係を的確に言い表しているようにも感じられます。
以上のことに基づきますと、
肉体も現象世界も絶えず千変万化し、決して固定的な実態ではありませんが、
縁により顕在化された「仮」の姿として存在します。
事物は成住壊空、人間は生老病死の流転を繰り返します。
それらは変化を繰り返し、やがて滅びゆくものですが、
実在しないのではないと思います。
>>139
存在すると思います。 「空」とは自性がないという意味ですよ。「空諦]とはこの世界はありとあらゆる全て自性かないと、明らかに見極める見方。
「仮諦」とは仮に名前を付けて、仮に物事を分別して概念化させて、仮に個別性を設定していると見極める見方。
「中諦」とは「空諦、仮諦」は同じことを別々の視点で語ったにすきず、空、仮の一方の視点に偏りず、止揚させていく見極める見方。
円融 >>「中」とは「空」と「仮」を貫く生命の本質
というような書き方は、あたかも空、仮、中がまるで別々の何かの概念のように聞こえます。
空仮中の三諦は諸法の実相をそれぞれ別の角度で見て説明しているだけで同じことなんです。
だから円融一体。 0412 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/12 20:01:34
別に嘘を言ったことはないよ。
親父がおしゃべりで、引っ越して来たときに「息子は県内トップの進学校出身だ」と近所で言い触らしたらしい。
それに恥じない会社で働いている、とも。
ヤンキー中学出身の元ヤンだとは言ってないみたい。
0413 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/05/12 20:34:41
嘘ってのは、こういうのでしょ。
0212 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/04/16 20:20:34
>>209
あれ?開成は灘に劣るし専門学校行く人も結構居るよ!
灘だって全員大学だけでないし短大も専門学校もいるんだよ。
何も知らないの?
★ギャグ係は更に嘘を嘘で塗り固める作業に必死ですw
学歴詐称、職歴詐称を自ら証明していますw
未だにギャグ係は灘や開成が大学進学率100%と信じきっていますが、かなりの知能障害レベルであると同時に高校に通学した経験もなく妄想を繰り返している事も自ら暴露してしまいましたw
統合失調症、知能障害、老人性痴ほう症、平然と嘘を貫き通すサイコパスと完全な廃人と化しています。 日蓮教は
ファシズム、攻撃的排他性、同調強制、
だから、農村に受けが良い 論理的思考が不得手で曖昧な表現に違和感を感じない、暗示にかかりやすい奴らが日蓮教に陥る。 >>159
法華経の価値を或る人が、この経は
入門者の為の初心の教えと仰る。
縁起と空性の関連、其れを認める識の
関連が初心者が挑むべき次の課題なわけ。
法華経一歩そで、仏教全体をカバーしたのだと
日蓮は断じた弊害と誤謬を指摘するのがこのスレッドのお役目ですね。 >>163
訂正五行目
法華経一本で、仏教全体をカバーする存在と そもそも
一心三観は、仏教ではない。
天台教。
仏陀の真の教えを知りたければ
『スッタニパータ』
『ダンマパダ』
『サンユッタ・ニカーヤ』
あたりを読むしかない。 仏陀の真の言葉を読むにつけ、
日本の生臭さ坊主なんぞは
針金でゆわいて、トンカチで
アタマをカチ割るべき存在だと
思うわけです。 >「空」とは有無のいずれでもなく潜在化している状態
> 「仮」とは個別の姿をとって顕在化している状態
> 「中」とは「空」と「仮」を貫く生命の本質
>この空仮中の三諦は円融一体であるとされます。
「空」とは有無のいずれでもなく潜在化している状態、ではない
潜在化している状態というものは無いし
潜在化している状態というものは無い、ということもない
「仮」とは個別の姿をとって顕在化している状態、
つまり感覚認識の対象である五蘊
「中」とは「空」と「仮」を貫く生命の本質、なるものは
結局のところ感覚認識思考の対象なので五蘊
三諦というのは仮諦を出でない仮諦に迷える人の妄想に過ぎない 中諦を定義するなら
空への理解の程度と仮諦に迷える人の助けになれる程度は比例するとでも定義するべき
円融一体なんてのは知ったかぶってる人間の言葉遊び
1兆回そんな言葉遊びを繰り返しても空の理解にはつながらない
池田大作という空を観念的思惟によって理解しようとする愚かな人を信奉すると
気の毒にも顛倒夢想に溺れる同じ轍を踏むことになる でた〜!w
空論になると躍起になるのが
ブッキョーオタクのツネ!(爆笑) 真理とは実は、驚くほどシンプルなのだよ。
零(ゼロ)の概念の発祥の地がインドであるのは有名だが、
「空」とは、この「ゼロ」の概念そのものである。
色(物質世界)は、四劫というサイクルを逃れられぬゆえ、
色即是空となる。
しかしながら「中」(非物資世界)とは、永遠不変の無色界(非色界)
存在であるが故に、常住なのである。 御覧下さいましたでしょうか。
今度、当寺院において平成の空気が入った缶詰を販売することにしましたので賞味してみてくれたら幸いでございます。
食べ方についての明細は最寄りの天台宗系にて問い合わせくださいませ。 日蓮さんの主張、南妙法蓮華経の題目には仏教の功徳が全て納まる。
故にこの題目を唱えられる人は既に即身成仏している。
頭っから嘘だから困っちゃうのよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています