社会悪というか、創価は日本人から必要とされた時代もあった。
ただ、必要とされない組織を無理に維持しようとすると社会悪になるかな。

社会なんてのはお互い至らないところのある者の集まりで、いつの時代も良く思われる人がいれば悪く思われる人も両者公平に存在してきた。
良いとか悪いとか実際は、絶対的な基準なんてない。
創価だろうがテロ組織だろうが、それらは社会現象だったり社会の流れが生み出しているもので、それらの発生に人類共同で関与している。
嫌いなものを悪とレッテル付けて無くそうと思っても無くなるものではない。

かえって、あいつが悪で自分は正義だというレッテル付けが善悪の終わりなき戦いを助長しているようにさえ思う。
こう思うのは、創価の態度を見てそう感じるんだけどね。

自分は創価は嫌いだが、創価が存在し続けるのは何かしら社会構造上的に人々から需要があって存在してきたと思っている。
社会が創価を必要としなくなれば創価は勝手に滅びる。
悪という表現をマイルドにするなら、創価は今の経済成長が止まった安定化、多様化の時代に日本人の精神バランス維持のために必要とされなくなっているという感じかな。
世界的には、勝負という野蛮行為を肯定したい人々のための自己啓発宗教として創価は生き残ると思う。