いい人の定義付けが必要だね。

通常のいい人には理屈はいらない。
同情心という、人が本来備えている人情味に豊富に溢れる人は、自然といい人。

それと異なるのは、あえて自分を「いい人」という定義に当てはめようとする人。
「いい人」という人格に憧れて、「いい人」を演じようとする人。

創価は同苦って言葉を好むけど、同苦が本当に自然に出来ているならいい人。
でも実際は残念ながら、カルト信者の同苦は殆どが上から目線の救世主的な同苦。
「本当に幸福になれる教えを知っている私達が、真実を知らない哀れな人達を救ってあげる」という選民的な同苦。

世の中韓国だろうが中国だろうが、同苦できる人は沢山いる。
日本の残留孤児を受け入れてくれたのは中国人。

学会員は、基本健気だと思う。
いい人になりたくて一生懸命頑張っている。
しかし、学会員は選民的な立場からのいい人を目指しているから、普通会員から幹部になれば人が変わって選民意識に満ち溢れる。
無冠は末端の大人しくて文句が言えないような会員におあつらえむきといった幹部の態度。

学会員のいい人とは「正法という最高の立場から、正法を知らない惨めな人達を助けている立派な自分」を選民意識から演じる姿。