学会員は基本的にいい人シンドローム。
「自分は人の為になっているいい人」

利他って奴だけど、こういうアイデンティティーが身に付いていると、逆に言うと人に悪く思われることが出来ない人になる。

このいい人になりたい傾向は世間一般人にもある。
ただ、学会員は信仰が根本にあるから更に自分を追い詰めている。
学会員は、「地涌の菩薩としての利他の振る舞いをやり遂げねば」的な強迫観念を創価学会から植え付けられている。

これは、地域活動では役に立つ。
学会員は地域やPTAの役員に積極的になるけど、世間からは布教以外の点では喜ばれている。
人がやりたがらない面倒なことでも喜んでやるからね。
学会員の本音は、人からいい人と思われて布教の足掛かりにしたいという下心。
世間から「誰々さんは周囲に貢献してくれるいい人と」と評価されと、学会員にとっては学会の宣揚や広宣流布のためになっていると自負できたり、学会会合での自分が頑張っている体験発表ネタに出来るから苦労があっても大満足。

しかし無冠は辛いね。
これは内部仕事だから世間と違って誉めてくれる人がいない。
また、嫌だからといってやめようとすると、周囲を困させるので自分はいい人ではなく悪い人になってしまう。

創価学会が信者をコントロールするために作り上げる、会員のいい人シンドロームの末路がこれ。
いい人シンドロームとは、周囲から誉められて自分を広宣流布を推進する地涌菩薩に見立てる自己満足。
逆に言うと、いい人になる為に自分の首を縛り上げることになる。

学会員は、このいい人シンドロームに脅迫的に陥っている。
ゆえに無冠をやめるという「自分を悪人にする行為」は「利他や地涌菩薩」という自己のアイデンティティーを失うことを意味する。

無冠をやめられない学会員はバカにされてしまっているが、創価学会本部に洗脳された学会員達は、様々な場で自分のいい人アイデンティティーを失う恐怖心と隣り合わせ。
この会員の恐怖心とは、創価学会本部が会員をコントロールするための見えざるムチや首輪でもある。