>>72
自己レス。
すいません。72の内容は誤りです。
ここにお詫び訂正します。

https://www.kinokuniya.co.jp/images/goods/ar2/web/imgdata2/44760/4476062369.jpg
は、
2010年出版の「日蓮仏法と池田大作の思想」
https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/39/5/3/069.jpg
の改訂版でした。

「平和をつくる宗教」の改訂版としたのは誤りでした。
私の確認ミスです。

今、日蓮仏法と池田大作の思想新版を読んでる最中です。
中身は、創価学会が仏教界から学術的に批判される内容への、詭弁的な反論といった内容ですね。
予想通り、空や鈴木大拙の内容をやっぱりはぐらかしている。
民衆に分かりやすく説くためには、空ではダメで中道思想に正解を求めている。
それから日蓮の謗法思想は排他主義ではなく、法華経を守るための護法主義だったそうだ。

まぁ、ここら辺は理屈をこいているだけ。
結論を言えば、じゃあ創価学会から見性やサマーディを見出だした人が出ているのかっていう。
己が外れるというか、肉体への自己同一化から離れると、あらゆることが無意味になる。
地上に生じる現実生活とは、自分及び人類の集合意識が映写機的に、想念を地上というスクリーンに投影しているようなもの。
肉体の自己同一から離れると、現実とは存在せず、現実は映像化されたイメージのようなものだったことがわかる。

自我の想念を、地上というスクリーンに投影するのは全てが映画のような夢。それは想念の映画であってリアルではない。
映画のなかでいくら平和を唱えてもそれは茶番劇。
リアルとは、想念という映写機による投影をやめること。
そうすると、救済や平和や宇宙といった夢は消え去る。
そうすると、対象は消えて、あらゆる夢を現出させるもの、そのものに復帰する。