日蓮妄想教義のせいで、折伏や破折こそが最重要の修行だと信じ込まされているため、とにかく日蓮教信者は一方的にベラベラ喋り過ぎる傾向にある
妄想教義に取り憑かれた自分の目から見て、相手が少しでも誤っていたり、劣っていたりするように見えると、すぐに上から目線で指摘し、破折し、自己の優位性をやたらと示そうとしたり、相手の人格否定をしたがる。
むしろ、それをなすことこそが「善であり、修行であり、生きる姿勢として正しい」かのように振る舞うのである
だが、実際に最重要なのは、そんな愚かな狂態などではなく、自分の心の内側が「実際に豊かであるか否か」、自分が精神的に「どのような存在なのか」である
「受持即観心だから、題目をあげ折伏や破折をしていれば、自然に仏界や慈悲が湧いている」などということは、決してない
日蓮妄想教義は、信者の精神を外界から切断し、ドグマ内で無限ループさせ、そのループ内に一生閉じ込めるための詐術である
その詐術により、信者たちは自己の心の内実から目を背けさせられ、根拠なき優越感や有害な敵愾心に満ち溢れさせられ、自覚なく邪心を増長させられながら、一生を送ることを余儀なくされているのである