若悩乱者頭破作七分 有供養者福過十号

この賞罰体系を日蓮正宗や創価学会は利用しました。

南無妙法蓮華経の宇宙のリズムに従えば、現世利益が得られて病気や災厄は転換され絶対幸福になる。
南無妙法蓮華経の宇宙のリズムに従わなければ、病気や不幸になり地獄に堕ちる。

日蓮や創価や日蓮正宗は仏法という言葉を好みます。
南無妙法蓮華経を、裁きの絶対的な基準、つまり絶対法として崇め奉る。
そして同時に南無妙法蓮華経は、法を破ったものを裁く神官のような絶対的存在としての役割を与えられています。

でも、そんなのインチキ仏教解釈以外の何物でもない。
仏に何かを裁く性質や絶対性などありはしない。
現代社会において人の上に立つための処世術としては役に立ちますけど。

法華経が最高だとか、優劣などもありはしない。
この世の空性という無常で流動なあるがままの海に飛び込めば、個人は消えて海そのものとなる。
これが瞑想や座禅の目的。
魔と表現される己の個別性の維持を最優先する自我の機能を瞑想や座禅で滅すれば、あらゆる区分や優劣は雲散霧消する。
残るのは仏の海。

この海に飛び込む抵抗をするのが自我。
その自我は自分が消える恐れと抵抗を常に抱き、自我を正義として扱ってくれる南無妙法蓮華経などの絶対性を探し求めて、自分を生かす手段としてしがみつく。