自分は宗教ウォッチャーやってるから最近天理教で調べたいことがあって地元の天理教教会を訪れたんだけど、全くだめだね。
組織が死んでいるとしかいいようがない。
布教熱がない。外部から質問を受けることを面倒と捉えている。
年老いた墓守りという印象。

統失に絡まれる創価学会が輝いて見える。
創価を憎んで相手にしてくれる人がいるだけ、憎まれる形ではあるが創価が周囲に与える巨大な存在感を実感せざるを得ない。

戦いというのは刺激を生むね。
天理教は全然戦ってない。
池田は「選挙運動の効果は会員を団結させること」だと田原総一郎のインタビューに答えている。
改めて組織を活性化させる様々な手段を知り尽くしていた池田の手腕には感心する。

敵がいて絶えざる闘争を続ける団体は活性化される。
創価学会員は高齢化しているが、創価の高齢会員はそこらの隠居高齢者と比べてはるかに活動的で高齢者どおしの付き合いが盛ん。
これは、選挙運動の際などに起こる創価学会が作り出した敵と敵から受ける創価への攻撃が、会員の緊張感や能動性や団結心を引き出しているから。

創価アンチは創価への絶えざる批判が創価を衰退させると思い込んでいる。
しかし実際は、創価批判は会員活性を引き出すきっかけになっている。
創価批判をしてはいけないということではなくて、そのような外部批判を生み出すほど創価の持つエネルギーは今でも強力さを保っていて、また創価は批判を組織活性のバネに活用している。

創価が滅ぶのは、外部から全く批判の対象とならないほど憎まれっ子としての存在感が失われたときかな。