>>200の続き

簡単にいうなら
自身の生命を仏にしていけよ。つまり、仏(釈尊)と同じように一切衆生に成仏を促す存在になれよ。
これが釈尊が求めていた仏界の人間性なのです。

そして、法華経はそれまでの仏法とは状況がまるで変わってきます。
すなわち、法華経の経典それ自体が「弘通の戦い」を予言しているんだよね。
法華経勧持品第13には、一切衆生を仏界に向けて成仏させようとする、いわば弘通をしようとするとそれを阻もうとする『三類の強敵』と呼ばれる迫害者が必ず現れると。

その、三類の強敵の中で一番悪質である『僭聖増上慢』として学会の前にあらわれたのが日顕だったんだ。

日蓮は法華経に従い、良観と戦ったからこそ、学会もそれに従い戦った。

相手を殺すわけではない、しかし倒す敵。しかし相手も仏を宿す器のある人間。しかし自身は苦しめられる。

学会は最高にキツかったと思う。
経文通り迫害されるから、学会も池田も、日蓮と同じように相当日顕に追い込まれたみたい。
日顕たちと話をしようと、何度も対話を持ちかけ待っていたのは学会なのに。
結局は、向こうから和合僧を破るという、仏法における大罪を犯してしまった。
だから、寸鉄のその言葉は、日蓮の弟子として、日顕の謗法を責めるのと同時に内部の同志に対して負けるな、経典と御書通りにあわられた敵を一切衆生の為に倒していくんだ、という呼びかけじゃないのかな。
会員である私でさえ、ちょっと真剣になりすぎて熱が入っているのではと思わされるけど、恐らく当事者からしたらそれぐらい窮地に立たされ苦しめられた状況だったんだと思う。
当時の池田の様子を収めた映像を見たことあるが、御書を引いて(忘れてしまった)講話して辛そうに見えなかったけどね。
池田は、辛い時こそ先陣を切って人々に希望を与える人だから。