日蓮正宗関連に集まる連中は、創価を始め、創価アンチ、統失みんな同じ根底を持っている。
物事を善悪抜きでありのままに受容できない人達。

この人達に中立はない。
あらゆるものを善悪に分けて、悪を攻撃することにより自己を善として見なし、自分は善であるという形態の存在意義を見出だす。
この形態のアイデンティティーが形成される理由とはなにか。
しっかりした自己を持っていないと、自己のアイデンティティーを見出だす為に他者との比較を必要とする。
他者を基準にして、自分は何者であるかを見出だそうとする。
他者を悪者にすれば、それとの比較で自分を善や正義に見なすことができる。

自分と異なるものを悪者にすれば、自分は正しいというアイデンティティーを得られる。
しかし、このアイデンティティー維持には膨大な労力を伴う。
なぜなら悪者にした対象は変化し続ける。
自分が正しくあるためには、変わり行く対象を悪として維持し続ける為に、常に対象の変化に合わせて対象は悪であるという解釈を新たに作り直し続けなければならない。

この対象の変化に呼応する執拗な新たな悪解釈の開発と発表。
この対象を悪とする絶えざる新解釈の努力は、自己のアイデンティティーを失わないための創価や創価アンチの主要業務といえよう。

この永遠なる自分と異なるものの悪者認定作業。
この作業を生み出すアイデンティティーの形成と特徴とは。
人間は幼少期にありのままの自分を周囲に受け入れてもらえないと、その疎外感を補う為に何かしら自分を誇示出来て周囲に受け入れてもらえる存立基盤を作ろうとする。
親のいうことを聞くとか、親が信じるものを真似するとか、
そのリーズナブルな存立基盤が、よいこでいること、悪いことをしないこと、善でいること。

ありのままを受け入れてもらえなかったことから生じる中立性の欠如。
この人達は何でも善悪や敵味方に区分しようとして社会に中立的に入り込むのが苦手。
社会を息苦しく感じる。

善悪二元論者のオアシスが、日蓮正宗系の宗教や、善悪敵味方に分かれた攻撃行為が日常のインターネット空間。