日蓮や創価は防疫理論なんだろうな。
「人間の健康のためには伝染病を予防し、またその侵入を防ぐこと。」という理論。

日蓮や創価にとっては、悪が蔓延すれば正法が追いやられて世の中が不健康、つまり乱れるという理屈。
これは飢餓や疫病にまみれた世の中を見れば、そう思いたくなるのは人情だと思うよ。
疫病を見たらそれを止めたり排除せねば感染が広がると誰でも思うもの。

でも本来の仏教視点から見ればそれは狭い見方のような気がする。
これらの病や災害は、仏教的に見れば過去世や縁起や諸行無常といった様々な要因が考えられる。
一つに限定された特定の原因で起こっている訳ではない。
また仏教的な平和という観点から見れば、病や悪を排除することは必ずしも根本解決ではない。
あらゆる物に仏性を見出だす仏教思想は排除の理論ではない。

無常の世界ではどんな幸せも楽土も同じまま維持し続けることはできない。
宇宙の営みは川の流れのように形を変えてうつろい行くゆえに、あらゆることが生じ得る。
そしてこれら宇宙の営みは、川の流れが変化し続けて同じ形を維持できないように、確定することができない空なる実態の無い代物。
しかし人間は、この川の流れの変化を災害と名付けたり美と名付けたり威容と名付けたり静謐と名付けたり、人間に分かりやすいように川やあらゆるものの姿を確定したがる。

日蓮の思考傾向は、川の流れの一時的な変化、つまり洪水などを悪として断定したがるようなもの。
そして洪水という悪の原因を、根本的に一つの原因に集約できると思い込みたがる。
日蓮にとっての悪い出来事が起こる集約原因は邪宗。

このような日蓮の狭い見方の原因は、輪廻、空、無常、縁起といったこの世の無限の変容や無実態性の無理解から生じているように思う。
言い換えれば、輪廻や空や無常や縁起といった、この世の不確実性、生命の絶えざる変容という性質を理解できずに仏教を解釈すると日蓮の仏教解釈に行き着く。
それは、人間にとって都合の悪いものを悪と見なすこと、そして悪の根本原因を特定しそれらの排除を正当化する教義。