>>457
創価以前に法華経や日蓮思想をちゃんと勉強した方がいいぞ。

釈迦は法華経の行者が法華経を広めたらどうなると予言しているのか?
そして、日蓮は現に法華経を広めてどのようになったのか?

現代において法華経を広めるにあたり、日蓮の教え通り仏意仏勅に基づく布教が出来ているかどうかはどのように判別出来るのか?
それは、釈迦が予言した現証が起きているかどうかだ。
あるいは、日蓮が受けたような国家権力や有力者から命を奪われるような迫害を何度も受けているかどうか。

少なくとも、残念ながら正宗は法華経を広めることによって生じるはずのこのような現証は起きていない。
日蓮が法華経を広めて被ったような迫害により近いのは創価の方だ。

だから創価が仏意仏勅だとか正宗は仏意仏勅じゃないとか、法華経が最も優れている教えと言うつもりはない。
しかし、このような法難が信者に与える多大な影響を理解出来ていなさすぎる。

法難というのはね、信者の信仰心をより強固にしてしまう。
信仰の真髄ってのは自己放棄。
ちっぽけな自分を大いなるものに捧げることにより、信者の意識は日常を離れて彼岸に拡大する。
言い換えれば、自分の命を信仰に捧げる、あるいは自己犠牲の精神により、自我への執着からの解放が生じる。
この一時的な自我や肉体への執着からの解放が、ヌミノーゼや法悦と呼ばれる至高体験を引き起こす。

学会員はこの体験を歓喜の中の大歓喜と呼び、信仰の確信を揺るぎなくしている。
しかしこれは麻薬のようなもの。
自己犠牲や自己放棄から生じる一時的な肉体の法悦を、絶対的な宗教体験と勘違いしているだけ。
迫害により生じる麻薬とも言い換えられる。

この迫害麻薬が如何に強く人間の人生を変えてしまうか。
監視や調査ごときは、信仰体験の足下にも及ばない。
迫害が引き起こす至高体験は如何なるものか学んだ方がいいぞ。
ヴィクトールフランクルやイマキュレー・イリバギザ スティーブ・アーウィンの自伝を読んでみな。