創価学会が他の新興宗教と比べて巨大になれた理由なんだけど、それは宗教の代表者が霊能者では無いという珍しい点が大きい。
普通の宗教の教祖や代表は、霊能者やその霊能者の血筋が殆ど。

創価の場合は初代会長や二代会長は教員。
教員が二代続けて宗教の代表になるというのは極めて異例。
教祖が霊能者だとどういうことになるかというと、教祖ってのは神と同一の感覚でいるから世間に妥協する気はない。
例えば天理教の教祖中山みきは、親神という一番偉い神を名乗り、それゆえに教会を作るのを認めなかったり(親神の教えは教会などなくとも自然に伝わると豪語)、親神より低い日本の神道と交わることを禁止した。

神憑りの霊能者に忠実に従えば、世間と隔絶しすぎて教えは広がらない。
その為天理教の幹部たちは教えを広めるために色々思案したあげく、あえて教祖の教えを破って教会を作り、日本の神道の配下に入って布教した。
もし天理教幹部が中山みきの教えを忠実に守っていたら、天理教は孤立して広まっていない。

その点、創価学会は神がかった教祖がいないから縛りがない。
教員という、世間をよく知っている人達が理性的に最善の布教方法を幹部たちとの話し合い、合理的に決定し行動してきた。
戸田が衆院には出るなと指導しても池田時代は衆院に進出したりなど。
悪い意味では教祖の教えは絶対ではない。
いい意味では時代に合わせた柔軟な発想。

今は創価学会の分水嶺だけど、創価学会はどうやって意思決定するのか?
代表が霊能者でない創価学会は、意思決定をアクセンチュアという外部コンサルタントにまで依頼する柔軟性だったり、自公連立などの宗教的信念を捨てられる軽さを持っている。
その軽さが、池田平和主義と対立している。