学会員が池田を本仏扱いしているという認識は、残念ながら外れているよ。
会員が池田を尊崇していることは確かだが、神のように絶対視しているわけではない。
学会員に「池田は成仏しているのか?」と聞くと、「成仏していない」という返事が返ってくる。
じゃあ池田はなんなのかと聞くと「池田先生は凡夫で完璧ではない。」「池田先生は私たちと同様に解消しなければいけない宿業があるから、こうやって一人立って正法を広める努力をしている。」と語る。

自分は元学会員だが、これらの学会員と同じ感想。
池田は学会組織を私物化していたが、会員に自分を崇めさせようとしていたわけではない。
池田は創価組織や会員を植民地的に支配しようとしていたわけではない。
池田は旧日本帝国の同化政策のように、会員の意思を自分の意思と同じくさせようとしていた。師弟不ニってやつだ。
そして、学会員というリトル池田が自分と意思を同じくして世界のあらゆる分野を占有していくのを夢想していた。
旧日本帝国による大東亜共栄圏構築ならぬ、池田イズム共栄圏を世界に広めるノリ。

だから学会員にとっては池田イズムを外部に広めることが最重要課題。
本尊という信仰の象徴にはそれほど執着しない。
それゆえに学会員にとって、本尊の偽や本物は本質的な項目ではない。
しかし、本尊の偉大さを信じてその偉大さにすがっている正宗にとっては、本尊が偽か本物かは死活問題だな。
でも学会員は正宗と違って本尊を崇めているわけではないから、本尊本尊騒いでも関心を引いてもらえないよ。