学会員は臭いものには蓋をするというか、勝ったときは大騒ぎするが負けはすぐ無かったことにする。

沖縄の件は上層部は頭を抱えているが、会員に対して負けに言及しないから会員は深刻に捉えていない。
学会員は打ち出しに従うだけで、打ち出しに無いことは真剣に考えない。

この打ち出し従順の学会員の傾向は、負けても心理的ダメージは最小限という点ではいい意味になり、情報や感情を学会本部にコントロールされているという点では悪い意味になる。

戦時中の日本国民は、アメリカにサイパンやフェリピンをとられても善戦していると信じ続けていた。
B29が飛んできたり沖縄に侵攻されて初めて自分達が負けていることを実感するようになった。
学会もこんな感じだな。
学会員は国政選挙で公明が比例700万票を割るくらいにならないと、自分達が追い込まれていることを実感出来ない人種。

創価大学は箱根駅伝の予選に落ちたけど、どれだけの学会員が予選落ちを知っているのだろうか。
予選突破した年は、学会組織総力を上げてお祭り騒ぎ。
突破できなければ、組織は沈黙で会員は気がつかないか残念でしたで真剣に興味を抱かない。

この学会員の鈍感さや情報弱者ぶりは、敗戦に気がつかなかった小野田少尉に匹敵する。
過疎地域の高齢学会員は、創価学会組織がたとえ崩壊して会合が無くなっても、聖教新聞が廃刊で届かなくなっても、ことの重大さに気づかずにしばらく信心活動を続けてそう。