「創価学会仏」の出現、概念、定義について人様々な感受が有るであろうが
創価学会自体が今までの創価学会の歴史の中で、何故、今これをパブリック・リレーションしたのかを
考察すると様々な推測が出てくるだろうが
一番大きな問題は「創価学会という組織」=「仏」という構図は
「悉有仏性」と「カリスマ一神教」という問題の中道を示す苦肉の索とも受け取れる。
現在の創価学会は日蓮原理主義へのブレーキ、また池田先生原理主義者へのブレーキとして
機能を果たす記号なのではなかろうか?