>>445
私見だと思って聞いてください。
私は、宇宙というのは人間の心の投影だと思っています。
仏教では龍樹の唯識論です。
その一方で、様々な宗教が宇宙の階層を説いています。
そして上に行けば行くほど階層が上がって、また精神的な境地が上がって、高潔な状態になり、最後は神人合一とか仏界を説いています。
人間とは、努力により愚人から神や仏に昇っていくとする精神成長論です。

私は、これらは人間が肉体と同一化することによる生じる夢想だと見なしています。
肉体や精神は、練磨するほど崇高なものになっていきます。
だから、人間は何事にも努力して様々な階層を上に昇ろうとする。
でも、人間というか心というか、それらは最初から完璧というか、区別がないというか、元々神や仏という完璧な包括性内のものであって、人間は本来は努力など必要がない。

総てが完璧。
でも人間というのは、あえて完璧を手放して、心を使って意識を完璧の外に投影し、宇宙や地球という制限のある夢想空間を生み出している。
そして、その制限ある夢想空間の中で、人間は肉体という制限物質を乗り物として乗り移り、凡人から神や仏に至るという発展成長的なチャレンジを楽しんでいます。

人間がそのチャレンジを楽しむには、記憶の消滅が必要。
なぜなら、総てが完璧で自分は神や仏と同一だと知ったままなら、人間は夢想を現実のように錯覚することが出来ない。
だから人間は夢想を現実化するために、神や仏の記憶を消して地球に転生します。
そして、本当の自分を忘れる迷いを得て、初めて本当の自分に戻るチャレンジを繰り返すことが可能になります。

この迷妄の中で人間は迷います。
肉体という乗り物を使って、凡人から神や仏になるという、夢想のチャレンジに挑み続けています。
そして、神や仏に正義や悪はない。
ただ夢想における社会活動中に、障害物として悪や正義は現れる。

この夢想のチャレンジを成し遂げることとは、正義や悪といった偶像を見破ること、
つまり心が投影した宇宙を空として見ること、
つまり精神の階層は肉体に付随した現象であったことに気づくこと、
そこから本当の自分は肉体でないことに気づくこと、
つまり肉体や自我を放棄して全一の状態に帰ること、