>>232
わかりますかね、この年表のオカシさ?
それはこの一行の記述に集約されるんだけど、

1260年7月 立正安国論を幕府に提出。 

でも言ってるだけで、その原本が存在してないわけよ、
存在するのは九年後に書かれた「控え」と称する本しかなく、

1269年 立正安国論の控えが成立(これが中山法華経寺の国宝指定本)。

一番最初に変かな…、と思ったのはココで、
幕府提出本が現存しないって、そんなのアリか?

日蓮学者とか日蓮学会とか全員に聞きたいけど、
証拠を示す元原稿が失われているのに、
幕府提出の歴史的事実が確かなものになるんですか?

証拠なしでいいなら、ダレかが勝手に主張したことすべてが、
都合よく、歴史的事実になってしまいませんか?

公式に真実と認められた証拠の文献をもとにした場合のみ、
歴史的事実が存在すると言えるんじゃないだろうか?

たとえ文化庁の文化財審議委員が安国論を国宝指定しても、
それが幕府に提出した証拠にはならんし、
山川出版と吉川弘文館が文科省検定済の日本史教科書に
幕府提出のデタラメを書いていたとしても、それもなんの証拠にもならんよ。

必要なものは、幕府に提出した原本と受け渡しの証文が
あれば問題ないのに、原本も証文もなくて、いくら周辺の権威付けをしても、
それが、幕府に提出した歴史の証拠にはならんと思いますが。