>>223
■死者算なし、の部分がわりと興味深くて、
話はコロっと変わりますが、立正安国論はじっさいには
1268文永五年以降に書いて成立しているのに、

なぜ八年前の1260文応元年に書いて、
幕府に提出したとくり返し嘘を言い張るのだろうか?
という素朴なぎもんの答えを教えてくれますね…。

1260文応元年に幕府は大々的に、仏教寺社関係に
無数の依頼をしているから、その中に
日蓮さんが安国論で幕府に「きびしい調子で?」
意見を上申したとしても、

すでにたくさんの意見が上申されていますから、
その中に紛れて、という話にすれば、
じっさいには上申していなくても、
それらしく世間をだますことはできそうで、

しかも八年前の記録なんて見つからなくても、
適当な言い訳でごまかせそうな感じだし。

そうすると、鎌倉時代の人たち相手に、
安国論提出日を八年詐称してダマせたとしても、
当時の人は文応元年の年、全国的に行われた、
災害疫病を払う一大キャンペーンのことを知ってますから、

安国論がその他大勢の中に埋もれた、どーでもいい
ゴミ文書なんだなと思ってたはずですよ、
でも現代は違って、文化庁が国宝指定する重要文化財で、
日本史の教科書には歴史的な事件として宣伝されてるから、
やっぱり2018年の、日本国民はみんなダマされちゃうよな…。