>>175
ちょっと待ってくれ
私は生まれた時から学会3世だし、生まれつき理屈っぽく小学5年の頃から趣味は
文学・哲学・映画・演劇・現代思想と人文に深く親しんできた。
それでも3世なので広く学会員と付き合ってきた。
多くの人に誤解されてる部分があるのを今まで不思議に思っていた
学会員は仏教を宗教としてもインド哲学としても極めようと勉強出来る人はいない。
それは心の弱さ(トップダウン原理主義や皆んな一緒主義というスウィート・ウォーター依存など)
そして、学会員自身の知性と育ちと特に教育が彼らを法華経の本質から遠ざかる触媒になっている。

誰も学会員に法華経を教える事は出来ない。残念な話だが学会が発行する機関紙でさえ
誤った法華経理解を晒している。

そして、ここを一番強調したいのだが、その問題をメタ的に理解している学会員はいる
しかし、それらを共有論題として語る事は出来ない。何故なら
トップダウン原理主義、知性の低さ、教育の無い学会員の反発は想像を絶して激しいからだ。
反発は激しくとも、彼らは理論武装はしていない。
つまり、話の通じる相手じゃ無い者に、知性的な学会員は話をする事は無い。
不毛どころか、敵意さえ向けられるからだ。
創価学会という組織自体が、その本部からして、この帰属組織内における社会的不全に
手を打たないところが学会3世としての不満と言えば不満である。

私は長い事学会員であったが、知り合いの学会員で法華経を最後まで読破した学会員には1人も出会った事が無い。