>>157
創価や日蓮正宗系に嫌な思いをさせられたのかもしれないが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い論法で、日蓮憎けりゃ法華経まで憎いになってるよ。
方便というのは嘘という意味ではない。サンスクリット語のウパーヤの漢訳で、ウパーヤは真実に近付ける巧みな手立て、技術、技能、方法を意味している。
漢訳の方便の中国語の意味は、便利なこと、都合のいいことの意味。だから漢訳僧達はニュアンスの近い方便の語を当てはめた。便利な方法という意味。
法華経に限らず、大乗の経典には方便という語が連発する。
もちろん方便を捨てよなどと言うのではなく方便を用いなさいと言っている。巧みな技術を応用しなさいと。法華経もそう。
しかし日蓮は翻訳を誤り、方便を仮の教えと訳してしまったことに根本の問題がある。
そもそも仮の教えを捨てよではなく、大いに人々を導くために様々なスキルを活用しなさいと説いている。
そのような日蓮の誤読に引っ張られ法華経そのものをかえって嫌いになってしまう人々を増やしてしまった日蓮は反省してほしい。