日蓮って ver.44
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前スレ日蓮って ver.43 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1510541794/ 「日蓮って」過去ログ http://hyakkimaru.nukenin.jp/ 創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。 創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。 コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。 スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。 スレ違いの話題はほどほどにして下さい。 初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 日蓮正宗の実態は、とんでもないカルト教団を次々と生産し 世に送り出してくる、インチキ宗教です。 日蓮正宗は、創価学会や顕正会の本家本元であり、 親元であるばかりでなく、現在もまた新たなカルト教団・妙観講を生産している、 まさにカルト宗教問題の本家本元というべきものです。 創価学会問題、顕正会問題、カルト宗教問題に斬り込んでいくには、 日蓮正宗問題に斬り込んでいく必要があります。 日蓮正宗から生れてくるカルト教団というものは、偶発的に生れてきたのではなく、 日蓮正宗総本山大石寺・日蓮正宗法主が陣頭指揮をして生産しているものです。 さらにこの日蓮正宗という宗教は、室町時代の法主が偽造した 「本門戒壇の大御本尊」なる名のニセ板本尊や「二箇の相承書」 「日興跡条条事」といった後世に偽造されたニセ文書を 「日蓮から代々の法主が相伝した」などと欺瞞して自分たちを正統化し、 信者を騙して毎年のように数十億円もの供養金を搾り取っている、 伝統仏教の仮面をかぶった、とんでもないインチキ宗教であり、悪質な宗教詐欺です。 さらに日蓮正宗・創価学会・顕正会…といった教団に 所属・信仰している信者が引き起こす犯罪・事件が後を絶ちません。これらの教団そのもの、 ないし教団の指導者たちが、教義的・ドグマ的・宗教活動的に反社会的体質を持っていることと 決して無関係ではありません。 創価学会、顕正会、正信会、妙観講、法華講…などのカルト教団の生みの親、育ての親であり、 本家本元である日蓮正宗を徹底的に批判し、追及・糾弾していくべきです。 >>518 >日蓮がインチキ坊主か?人智を超える慈悲を持った人物なのか?今となっては明確には分かりませんが 当時から今に至るまでインチキ坊主であることは明らか。 >当時から今に至るまでインチキ坊主であることは明らか。 その論拠は? 日蓮って貧困救済もしないしお酒も飲むし なかなかのプー太郎って感じだな >>532 . なかなかのプー太郎って感じだな そこが日蓮の良いところじゃねぇか! ライ麦畑で落っこちそうになる子供を捕まえたいと言うホールデン君が 実は、自分こそ誰かに腕をしっかり掴んで欲しかった、みたいにさ 正直に駄々こねてる大人って、粋じゃねぇか? 日蓮も親鸞も、そういう人間臭いところがあるから人気があるんだよ。 宗派仏教というのは「人間が如何にダメな存在であるか」を確認する為のイリュージョンよ! 業の肯定ですよ。業の! >>533 地獄に落ちると不安を煽るプー太郎なのに日蓮って地獄に行く対象だよね 意外にもグルメだったし袈裟もお洒落だったのかな? そういえば敬称もおかしいなんちゃら上人とか大聖人とか 結構肩書マニアだったのかな 戒律に従って生きるのはしんどいし人生つまらないから辞めにしましたと素直に白状すりゃいいのに 堕落しながらも人間臭さという大義を立てて名誉の椅子にしがみつきたいだけだろう いいか、厳しい戒律の世界から稀に一休のような人間がでるからこそ有り難みが湧くのであって 坊さん全てが一休のようにやりだしたら用はないんだよ >>534 ファウスト「先程から何度も召喚しておったのに、何故遅れた?」 メフィスト「私の師匠に会ってきたのです」 ファウスト「この世を離れ、悪魔の総帥に会ってきたと言うのか?」 メフィスト「いえ、旦那様!私は一度もこの世を離れた事が御座いません」 ファウスト「この世から離れず、地獄にも行かずどうして悪魔の総帥に会えると言う ?」 メフィスト「旦那様。この世が地獄で無くして、どうして私と旦那様が出会えたでしょうか?」 「ファウスト」(ゲーテ)より >>537 日蓮ってこの世は地獄って捉えてたのかな プー太郎の警告は結局何もしていないんだよね >>536 数年前まで、鎌倉にある禅宗の寺で一般(宗派関係無く)参禅会に長い事通わせてもらった(私は学会3世なのにw) ある日、長い事お世話になった有僧籍の師兄が限りなく破門に近い還俗をするという。 皆、山門に集まり師兄を送り出す。師兄も修行僧も在家も皆んな笑顔である。 門をくぐっていよいよ還俗する時に直の師弟の禅僧が尋ねた。 「師兄よ!何故還俗するのですか?」 師兄答えて曰く 「女が好きになったからです!」 その場に居た人達は大拍手で師兄を門で見送った。 理由は分からないが私は涙をながした。 老師は、私に「彼の痴聖人を傭うて、雪を担い共に井を埋む」 (知的障害の寺男と相談して、井戸を雪で埋める。という最高に徳の高い境涯)徳山和尚の公案 をもって、私達に大切な事を教えてくれた。 >>539 決してふざけるつもりはないが、そのような事態が生じた場合には嫌になるほど罵りながら 塩を撒いて蹴り出すのが正しいやり方だ >>540 それって釈尊が言ってる事と真逆じゃんw そのようにしなければ、その方が寺院で過ごした日々は本当の意味で報われないし 気持ち良く送り出すだけが人情ではない。決別という名の逆縁もまた人生だ 日蓮丸の酒豪舵取が、二日酔いの眼目で狭い日本そんなに急いで何処へ逝くのはしら? >>542 まあ禅宗っていうのは十牛図に示されているように、最終的に仏教を捨てるのが悟りの境涯だ という他の宗派とは違う教理哲学があるからね。 テーラワーダのスマナサーラ長老に良くる質問で 「日本の禅宗は一番、原始仏教に近いのでテーラワーダに存在意義を感じない人も多いのでは?」 と何度も問われるらしい。これに対してスマナサーラ長老は 「禅宗は語り過ぎです」と爽やかな切り返し。 しかも臨済も黄檗も曹洞も、このスマナサーラ長老の回答に拍手を送った。 禅、スマナサーラ、、、、懐が何処までも深い奴らだ >>544 そのスリランカのなんとかーラって坊さんが誰よりも語ってると思うんだが 仏教は言葉ではない理論ではない、などと言いながら講演はやるわ、書籍は出版しまくるわ ここでもまた内面化という言い訳が都合よく登場してくる訳なのか 鈴木大拙が言うには「不立文字」という禅宗の本が 書店に溢れているのはどういう訳だ?と言いながらも 鈴木大拙は100冊の著書を残している。 仏教というのは本当に善意のトラップに満ちているのだなあ 言葉を壊すツールとして言葉を使う 偉くなるほど、真意を理解してる私は戒律を破っても何をやっても全て教理に適ってるから構わないという アサハラ的な発想になってくるんだろうな キリスト教も、内面化をやったせいで律法に秘められた真意を理解していればそれを守らなくても 殺して良いとかメチャクチャなことを言いだすようになる >>547 それって「禅天魔」とかいう誹謗中傷を何も考えずに言ってしまう創価学会員と同じじゃんw 私も創価3世だから言えたギリじゃ無いけどさw 禅宗には何をしたらいけないという法は無い(寒いので木の仏像を燃やして暖をとった禅僧が讃えられたりする) 禅宗には何をしろという法は無い(読経や座禅をしてると怒られる、そんな事より今は庭の草むしりの方が先だ先だと語った禅僧が讃えられたりする) 禅も原始仏教も「執着」を離れ「分別知」を粉砕し「苦」を滅し「楽」なれって宗教だから 何物にも縛られない。 ただ、ココが理解できるかどうかが非常に難しい。 何故、禅宗にあれだけの本や言葉や公案が多いのか? 法華経の比喩、法華七喩と同じと考えたらわかりやすいかな? 禅宗は原始仏教に近いけど、原始仏教では無い。 禅宗は大乗仏教だという事を忘れないでね。 それからキリスト教に関しても誤解が凄く多い気がするんだ 私は日本カトリック教会(聖イグナチオ教会)や聖公会(横浜山手聖公会クライスト・チャーチ)にも出入りする学会員 なのだが、日本人てキリスト教の基本、ローマ・カトリック・英国国教会・東方正教会・アメリカ聖公会の 区別もつかないでしょ?別にそれが悪いとは言わないけどさ。 私としては仏教徒の方々にも暇があったら、それぞれの教会の違いを学んで欲しいな。 特に今はトランプ政権。支持母体のバイブルベルト(福音派・南部バプティスト・長老派・メソジスト)とか 調べてみるとトランプ政権というか今の合衆国が良く見えるよ。 今日もトルコに軟禁されている福音派牧師の扱いに対して(トランプ政権支持母体の強力キリスト教原理主義者の牧師さん) トランプ大統領は制裁警告をトルコに出した。今キリスト教を学ぶチャンスだよ。 公案を考えること雑事をこなすこと戒律に従うこと仏教においてそれ自体が目的ではないし 心を尽くして取り組むことなら別になんだって良い訳だ だけど公案や戒律を軽んじて辞めにした時点で全ての意義が失われてしまう 「一休みたいなやつ」は表面的な執着ばかり目で追ってるからそうした妙が理解できてない訳だ 一休の母である伊予の局は、一休を生むために摂関家としての身分を捨て去り宮城を後にして降下していったというのに 女のケツを追いたいから山を降りるというやつを拍手喝采で送りだしたなんて話には何のカタルシスも感じられない >>549 公案や戒律を軽んじてはダメだよ。 法華経にもあるとおり「私は貴方を軽んじません」は仏法の根本原理だと思う。 ただ、公案や戒律を辞めにするのは「有り」なんだよな。 ここの説明がちょっと私には難しい。 以前、会合でねこの理屈っぽい私には御書講義の依頼が来た。人前で話すのが大好きなので二つ返事で引き受けた。 お題は例の明鏡も日々に勤めて払拭し、、、鏡につく埃を常に払うように常に信心を貫いて自分の鏡(信心)をピカピカにしろ!というアレ。 学会のコンセプト通りに一通りの解説を行なった後、「実は仏教では、もう一つの解釈があるのです」と 「明鏡もとから台無し、、」(本当に悟れば一瞬にして鏡は磨ける、一瞬にして磨き過ぎる、磨き過多になり鏡は一瞬にして摩滅し消えて無くなる) 「さあ、一体私達が磨くべき鏡は何処にあるのでしょう?」とイタズラ心で禅宗的解釈を語ってしまった。 えらいもんで半数の方々は「へぇー!なるほどねぇ!」って理解してくれたけど 壮年部の偉い人達の視線はキツかったなあw 家に帰ると父(本部職員)から速攻で電話がかかり、物凄く怒られたよw 一瞬にして明鏡は消える。一瞬にして戒律も消える。一瞬にして全ての執着は消える。 一瞬にして経もも消えれば、題目も念仏も座禅も本尊も阿弥陀如来も宝塔も地涌の菩薩も消えてしまう。 これを持ってして「辞める」という語義を用いるのは倒見だと思いますが、どうでしょう? 皆様のご意見をお聞かせ下さい。 笑点はお笑いとして見るとちっとも面白くないけど、笑わなきゃ収まらないから皆笑ってるだけだ >>552 以前ココにも書いたと思うが、宮崎哲弥と宮台真司の法華経対談があってMCが水道橋博士 法華経の咀嚼と受け入れについて、様々な形が存在するが「権威」という力関係、政治力、党派政治のような不自由さからの脱却を示唆している時に 水道橋博士が「師匠のビートたけしは芸に力はないが、力を芸にしている」と述べてた。 博士は続けて言う「ビートたけしがボケれば皆が笑う。それはビートたけしの力に屈服した笑いだ」 「これは芸人としては、出来る人は限られているだけに自分は師匠を尊敬しているが」 「芸人だから許される事であって、宗教においては絶対に許されざるものなのでしょう」 と語っていた。非常に示唆に富む話である。 笑点の笑いは権威による笑いじゃない 演者に観客が呼応することを以てその演目が完結するから自然と笑いが起きる 侘び寂びや粋に代表される日本文化というもんだ >笑点の笑いは権威による笑いじゃない そうだよ。 それを私は否定してないよ。 笑いの中には権威や力による笑いもあり、パフォーミングアーティストは 表現者だからこそ許されるという話をしたまでだよ。 芸能だから許される。ビートたけしだから許される。 しかし権威や力を利用したパブリケーションは芸能では許されるが 宗教や哲学では絶対に許されない って、事を書いたつもりだったんだけど 分からなかった? やたら権威的にするのが悪い おいたけしと言えるように、おい日蓮と言えるほうが健全だ >>556 そうだね どの宗派にも、、カッコ悪さがあって そのかっこ悪さが尊いとする んだけど、日蓮系はそれが無い 親鸞は弟子に「本当に念仏を唱えて極楽へいけるのか?それは本当に良い事なのか?」と問われて 親鸞は「実は俺も今それで悩んでるんだよなあ、、、」とか(歎異抄) 臨済宗に参禅した夏目漱石が老師に「お前はインテリの癖にそんな事もわからんのか!」と叱られ 結局、印可を一切受けずほうほうの体で修行を終わりにして帰ってしまったエピソードとか(鎌倉円覚寺・釈老師) 磔にされたナザレのイエスが天を仰ぎ 「神よ!一番信仰心の厚い私が何故処刑されなければならない?何故神は私を助けないのだ!」 と恨み節炸裂で死んでいった。と これらの一見かっこ悪い話が、「尊い」話として後世に伝わる。 人気作家の水上勉に取材させてもらった事がある。彼も自著「雁の寺」のように 幼少の頃から禅宗の寺で育っている。禅的精神を内在させながら表現者となる自分なりの方法論を語ってもらった。 更に私が担当していた雑誌に原稿用紙1枚文のエッセイまで書いてもらった。 ー幼い少女達が縄跳びをしている。「お嬢さん!お入りなさい!」と歌いながらロープを振り回す 次々に少女達がロープの中に飛び込む。さあこれで全員飛び込んだというところで 突然空中浮遊する達磨禅師が現れ「わしも入れてくれ」と言い出す。少女達は笑顔で迎える。 両手両足もないまさにダルマの達磨禅師は少女達と一緒に縄跳びを飛び続ける。 地面には少女達と達磨禅師の影がリズミカルに動いているー 水上勉さんの作家としてのサービス精神のヘソはここでは無いかと感心し感謝した。 お前の話はどれも遠回しな自慢話ばかりだね、仏教に向いてないよ >お前の話はどれも遠回しな自慢話ばかりだね、 ルサンチマンを惹起する対立二元論を持つ人は 仏教にむいて無いとおもいますよ。 ただ無常・無我、空・縁起だけが大切な仏教の教理なので そんな人でも、その場所にずっと立ち止まる事はありません。 貴方に悟りが訪れる事を、心より祈ります。 >>533 日蓮と親鸞は人間臭いから人気があるのかな? 自己申告ばかりで記録に残っていないという共通点があるけど 誰かが仕立て上げた架空のヒーロー日蓮マンの人気だったりして 実在しなかったことにされかかった親鸞 https://bushoojapan.com/scandal/2014/04/14/17667 >日蓮と親鸞は人間臭いから人気があるのかな? それは「前提の誤謬」と「性急な一般化」と「原理主義信者の生存バイアス」が 絡み合った迷妄ですよ。 鎌倉時代の人間であれ、エリザベス朝時代のシェークスピアであれ、神聖ローマ帝国時代のモーツァルトであれ 現代人が知の考古学を始めれば、そこには必ず「観測選択効果」が関与するんですよ。 自ら悪臭撒き散らしといてルサンチマンとは思考回路がサイコ的だなコイツ 前提の誤謬だとか、そんな単純なことを態々小難しい言い回しで言わなくていいよ 仏教は共感ゲームにコミットする仲良しごっこじゃないんだよ。 自灯明 1人1人が主人公なんだ >>563 >「前提の誤謬」と「性急な一般化」と「原理主義信者の生存バイアス」 なるほど こういうとらえかたもあるんですね。 創価学会員は人間革命に書いてある池田大作を 崇拝してるのであって、実際にどんな人物なのかは 知らないみたいな。 日蓮でも親鸞でも同じじゃないのかなあ。 >>483 この文章読むかぎり、大森曹玄のじっちゃんは、 自分こそがカルトやん、しかも東大で講義してたのか。 どーりで東大哲学科を名乗る禅坊主さんたちが、 言ってることオカしい理由がわかりますな。 なぜ千二百年前から伝わる漢文原稿を、 文章そのままの意味として理解したら いけないんだろうね? 無心で餅を食う、なんて原文のどこにも 書いてありませんが??? >>486 >>487 受持即持戒は、中国のにせブランド商法みたいなもんかね。 iPhone → iPen、似たような名前で誤魔化して、 いかにも東大寺や比叡山の受戒とおなじく、 仏教権威があるかのように、かん違いさせる。 やってることは、なんちゃって相承に過ぎず、 仏教おままごとで、何の根拠もないんでしょうが、 でもこれ、誰も突っ込まないでいると、 だんだん権威化してきて、それらしくはなっても、 もともとの根拠がなにもないゼロ相承であるのは、 相変わらずだから、理屈的には逃げられない。 お釈迦さまから代々続く、相承の系譜は 日蓮さんにはあるんですか? とストレートに聞けば、答えにつまり、 まったくのデタラメとわかるでしょうが…。 >>494 本門の戒壇 = 末法の戒壇とするならば、 四十余年未顕真実は、正法時代のお釈迦様の言葉だから、 お釈迦さまの言葉は末法では無効化されて、 法華経全体が、真実ではないことになって、 本門の戒壇も意味を失うんちゃう? 四十余年ネタを出したり、引っ込めたり…。 末法の本尊は、みんな御書読んでないから 知らないと思うけど、三沢抄にはこうあって、 A. さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、 此れは仏より後迦葉阿難竜樹天親天台妙楽伝教義真等の 大論師大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、 口より外には出し給はず、 B. 其の故は仏制して云く「我が滅後末法に入らずば 此の大法いう(言う)べからず」とありしゆへなり、 ※ A は仏教の歴代大師のみに伝わるヒミツの法門があって、 それは代々決して口外されない内々に秘めた 口伝であるというもの。 でも、口外されない話を歴代大師でもなんでもない ちまたの日蓮さんが知ってるのは分かり易い矛盾のような…。 B お釈迦さまが口封じした説も、出典根拠が不明です…。 結局、末法の秘密の法門はナンミョー題目なんだってさ、 根拠のない決めつけと、デタラメ話がえんえんと続きます…。 末法の秘密の法門は、対話の個人間プロトコルに依存するだけ。 これは否定も肯定も、本来出来ない記号性を持つ。 君はまだ地動説を信じてるの? という質問に はい。または。いいえ。で答える事は出来無い。 否定しても肯定しても、地動説を一度でも信じたことがある。と言う事実に反する 過程の不全に乗っかり パラドクスを生じる 「受戒」は40年前の朝日新聞に連載された小説である、 司馬遼太郎せんせの「空海の風景」に 最澄さんの戒蝶度蝶を探し出した、詳細な調査報告が書かれていて、 得度受戒ともに現代の用語概念とは ぜんぜん違うものみたいですね…。 かんたんに言えば、叡山の受戒は国家公務員の 資格を授与するための身分制度に過ぎん。 出家 → 地方の民間寺で修行と生活をする身分。 得度 → 国分寺でお勤めをする僧侶の資格、 現代なら地方公務員相当。 受戒 → 東大寺その他、官立戒壇で受戒する 国家公務員上級キャリア資格。 私度僧というのは、坊さんのコスプレで、 世間を流れ歩く、当時の鎌倉でも犯罪者の ニュアンスを持った怪しい人たちで、 日蓮師匠と、その一門がこれに当たるんじゃない? だから、自分の死んだ後は弟子たちにも 公的な身分を与えたいという願いがあって、 (三大秘法禀承事) 勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん 最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か…。 一門にも朝廷幕府に公認された資格が欲しいという、 俗物な願い事でしかなく、仏教とはまるで無縁のもので…。 >>482 なんで、道元さんわかってないのかなー?と、 あとで探してみたら、正法眼蔵にある心不可得は 話が半分でしかなく、続編を含む完全版は、 同時代で13世紀、臨済宗系の無門関28話に書いてあった。 ……餅売りの婆さんに、過去現在未来、どの心に 餅を食わせるつもりなのか? と聞かれ、 答えに窮して、立ち往生する徳山和尚ですが、 さすがに大唐国ナンバーワンの金剛経学者を自称する 自信家なんで切り替しも早く、しばらくぼーぜんとした後に、 お婆さんに聞いてみます。 そんな説法をするお師匠さまがいるのですか? 婆が言うには、龍譚という坊さまがここから五里ほど いったとこの寺にいるよ、という話。 そこでさっさとその龍譚和尚の寺に行って、 教えを乞う、行動力もかなり素早い徳山ですが、 夜も更けるまで意見交換をつづけ、さてきょうはもう お開きにして寺の寝所で寝てくださいとなって、 廊下に出るとそこは漆黒の闇で、それを告げると、 龍譚は紙ローソクを持って来て、徳山に手渡しますが、 徳山が受け取ろうとしたその瞬間、龍譚はローソクを ふっと口で吹き消してしまいます。 後に残ったのは闇ばかり、それを見た徳山は、 なにかに気づいた様子で、これが 「紙燭吹滅 ししょくふきめつ」という、 暗闇にほとけが現れるなぞのお話、つづく…。 570さん 大乗経典は、そろぞれの部派内の出家者が中心になって製作されたものらしいですね。この人達が、これぞブッダが言いたかった事として編纂されたのが大乗経典なのでしょう。 無量義経は中国で編纂された経典とも言われていますが、法華経を意識して製作されたような気がします。 「未顕真実」とは全ての人が仏と成れること、ブッダは久遠からの仏であることを未だ顕していないということでは?。 しかし法華経に「不受余経一偈」とありますから、日蓮は、法華経が文に背いていることになります。 しかし日蓮が根本大師と仰ぐ最澄の、 唯一乗の外、更に余乗等なし との『守護国界章』の文よりみれば、『スッタニパータ』も法華経であり用いて良いことになります。 仏の言葉より人師の言葉を重んじた事になります。 「法に依って人に依らざれ」との文に、日蓮自身が背いていることになります。 日蓮は、ご都合主義者なのかも知れません。 >>573 徳山のローソクは、徳山自身まだ分別が断ち切れなかったところ 暗闇ー明るさー再び暗闇を冷暖自知し、煩悩のチリ垢が全て脱落し大悟する。 闇夜は暗い。 ローソクは明るい。 それは当たり前の事で、何の不思議も無い。 徳山の悟りは、全てを二項対立という分別知を持って生きる事への執着に気づき、ただ一点を見つめられる境涯に辿り着いた。 それさえ手に入れば、後は無心に餅を食うだけである。 私達が仏法を語ったり、本を出したりするのは、無常・無我・空・縁起をどう伝えるか?の悩みを確認作業でもある。 言葉によって、どう言葉の有限性と多義性を伝え、仏法の無限性を伝えられるかの勝負なのである。 私達が伝え聞く釈尊の言葉はアーナンダを始めウパーリやマハーカッサバやシャーリープトラ達の 言葉ですよね?少なくとも釈尊のでは無くサンガ達の抄録が編纂されました。 「編纂された経典」、という「あらかじめ心の中に用意された解」を一旦忘れて 無心に徳山と一緒に餅を食べませんか? 聖書は4っつの福音書とパウロ書簡で成り立っています。 しかし、それぞれが矛盾だらけなんですよ。それでもクリスチャンは批判はしません。それを含めてのクリスシャニティなのです。 「善きサマリア人のたとえ」は「ルカによる福音書」だけにしか登場しない話です。 ルカは絶対、この話は後世に残るべきだと思ったのでしょう。捏造も有ったかも知れません。 しかし、ルカのおかげで聖書は救われました。多くのキリスト者も救われました。 なぜ他の3っつの福音書には「善きサマリア人のたとえ」が記載されなかったのか? 私達、日本人には理解出来ない問題が実はあったのです。 「あのお経にはこう書いてある、、、いや御書にはこう書いてある、、、何?、、この野郎!、、、やるか?」 悟りよ!幸あれ! >>576 この経典だけが真実だ。 この経典だけが唯一だ。 この宗派だけが真実だ。 この宗派だけが唯一だ。 などど主張しなければ良い。 ヴェータ・ウパニシャッドはたくさん有れど、ヒンドゥー教徒は、この経典だけが正しいとは言わない。 仏法は様々な意味でコードスイッチングで記述される。 読み手は、そこのコードスイッチングを理解しないでは 仏教を読み解けない。 >>572 確か日蓮には一次史料に出家・得度した記録が無かったと思うんですが、 出家得度の制度は最澄上人の時代から鎌倉初期にかけて変化はなかったのでしょうか? また、私度僧を検索すると ・律令制下,定められた官許を受けることなく出家した僧尼 ・日本の、奈良時代末期から平安時代初期にかけての言葉。正式の国家試験を受けずに、自ら僧侶になった者を私度僧と呼ぶ。 とあるのですが、鎌倉初期とは時代がずれる上に、平安時代以降天台宗に独自の入門制度や得度の制度はできなかったのでしょうか? 親鸞上人には青蓮院で得度した記録があったと思うのですが、 この時代天台宗の元で得度しても私度僧と呼ばれていたのでしょうか? 579さん 中世叡山の戒律復興 ―律僧恵尋の思想と国家観をめぐって― 舩 田 淳 一 この論文をネット検索して読んでみて下さい。 施餓鬼の盆踊り、夏祭りがあった。 陽が傾くまで境内は綿飴、ビー玉すくい、生ビールにラムネ、千本糸で賑わっていた。 猛暑対策として冷房を効かせた本堂が解放され休憩する人々。 そこへ在家ボランティアの若者数名が子供達に紙芝居。 彼らはMacBookにApple TV やら WiFiを設定し大きなTVで自作コンテンツを幼児達に見せる。 「昔々インドにお釈迦さんと言う偉いお坊さんが居ました、、、、」 顔も動きも可愛らしいゴータマやアーナンダのゆるキャラに、こちらも顔もほころぶ。 私は「そうかお釈迦さんはお坊さんだったんだね?」と独り言 それを見過ごさずボランティアの女子大生が言った。 「そうなんです。釈尊は人によってはお坊さんなのです。 八尋さん!八尋さんはこの紙芝居をどう思います?」 「子供が面白がって見てるじゃ無い。凄くいいよ。いい紙芝居だ」 すると女子大生が喜んで言った。 「大人にとっては紙芝居。大人にとってはインド哲学徒 子供にとってはただの見慣れたデジタル・コンテンツで、子供にとってはお坊さんなのです」 「何か問題がありますでしょうか?www」 私は「いや、完璧だよ」 清澄寺 道善房墓所 http://www.seichoji.com/02_13_douzenboubosyo.html 入門といえばこの人は誰なの? 道善「房」なんて墓を建てるもんなの? 日蓮の時代からあったの? 宗派仏教、宗教団体について改めて考えてみた。 「正義」の定義はあやふやで独善的であり危険でもある。 仏教系宗教団体には、いつでも誰かを敵にしなければならないという心理と行動原理に憑依されている人々がいる。 それらは「仏教団体」と言いながらも、一番「仏教」から遠い存在であろう。 私達に見えるのは、もはや「仏教」では無く 集団至上主義的なゲットーしか見えない。 それらは排他的で特殊な「宗教的信条」によって結ばれたゲットーの形成を促す。 そのため、民主主義的な公共性そのものの崩壊をもたらしかねない。 そして、全ての人々の心を殺し、全ての人々に内在する「仏性」を殺しかねない。 外道と言いながら祈りで功徳を得ようとする矛盾もあるなぁ 輪廻を解脱する目的なのに、日蓮の場合生まれ変わることを肯定的に言っている どうしてこういうことになるんだ?ブッダは解脱していないのか?誰か教えて >>584 単に日蓮上人が釈尊の真意を知らなかったと言うことでしょう。 あと十重禁戒の説四衆過戒と瞋心不受悔戒について 日蓮の他宗門批判は謗法として正当化するんですか? これについてもわからないので 三大秘法についても諸行無常なのになぜ拘るのか? 常楽我浄という考えも理解できない まあ疑問に思ったこと書いてみた、ほかにもあるけど教えてほしいなぁ 末法思想についてもなぜ後世にできた経典を正法とするのか? ブッダは題目なんて時代的に唱えるわけがないのに ID:rPtPr6eVさん。 ID:rPtPr6eVさんの様に疑団を眼前に据える人こそ 真の仏教、真の法を継ぐ器の人だと言い切れます。 「幹部から教えてもらった。聖教や潮出版の本に書いてあった」という理由だけで 納得し、盲信する人で構成される集団至上主義の中で、そのような疑団を生じせしめるのは あなた自身の中から沸き起こる「疑団」であり 畢竟、ID:rPtPr6eVさんには、それを表彰出来るだけの直観(インチュイション)が生まれ持ってそなわっている方なのです。 そういう人によって仏法を伝えられて来たし そういう人によって仏法は後世に伝えられるのです。 ID:rPtPr6eVさんに、幸あれ! 日蓮正宗の浅間大社への御本尊奉納と創価学会の靖国神社への提灯奉納は全く同じだった しかも浅間大社の奉納された御本尊により日蓮本仏の日蓮正宗と創価学会の教義が完全に破綻していたことが判明 これにより日蓮正宗と創価学会は新興宗教であることが明らかになった 1.浅間大社の宮司が、靖国神社の初代神官 富士宮浅間大社の歴史上長きにわたり、宮司として仕えてきた富士氏は、富士亦八郎重本をもって最後となりましたが、 靖国神社の初代神官としてその名を残しております。 靖国神社と浅間大社は同じです、ですから日蓮正宗の浅間大社への御本尊奉納と創価学会の靖国神社への提灯を奉納が全く意味が同じことになりますよね 2.浅間大社に御本尊を奉納した日元は本仏を日蓮でなく久遠実成の釈尊としていたことです 33世日元が富士浅間大社に奉納した宝暦14年(1764年)の本尊には、 「三十三嗣法」と刻まれています。 「本地久遠実成釈尊 垂迹富士浅間宮」 という脇書きが刻まれていることです。 この内容は、本仏を日蓮大聖人ではなく「久遠実成の釈尊」としていた 浅間大社? >>415 >1257年(正嘉元年)富士山興法寺大鏡坊に妙法蓮華経(法華経)を奉納[5]。 [5]富士山頂上経ヶ岳霊場略縁起(村山浅間神社蔵) 辻説法は幕末に言い出したと判明したわけだが、これは本当か? 「多宝富士 大日 蓮華山」を称した大石寺の山号からしても大日如来が本地だったのかと思いますけど、 後々にそれでは都合が悪いので、「大日蓮 華山」と歯切れの悪い解釈をするようになったような? やっぱり疑問が絶えなかった 日蓮系の方々に問いたい、ブッダは解脱していなかったのか? >日蓮系の方々に問いたい、ブッダは解脱していなかったのか? この聞き方が凄く良い。 この1センテンスに日蓮系の人達が持つ誤謬に対しての、鋭い覚醒を促す言葉の力がある。 徳山の餅をただ不思議そうに眺めているだけの日蓮系の人に答えられる質問では無い。 素晴らしい質問だと思う。 以前、子供を連れたご婦人が日曜日に玄関に現れ「聖書をお読みになった事がありますか?」と来た。 自称キリスト教系と名乗る某新興宗教の勧誘だった。 私は正直に日本聖書協会の共同訳や文語訳、グーテンベルグ聖書が大好きですよ。と語った。 すると彼女は「それは間違った聖書です」と来た。私は彼女に「一番ポピュラーな聖書を否定するキリスト教団体なのですか?w」と軽い皮肉 彼女は自身の教団の聖書を取り出し得々と読み上げる。聞くと(見ると)私達に馴染みのある4福音書とパウロ書簡である。 (正確にはジェネシスや出エジプト記も持っていたが、その日は福音書のみでの勧誘だった) 「先ず、どのような宗教的信条、教義教条なのか伝えて下さい」とお願いした。 彼女は「マタイによる福音書第何章第何切に、、、、ヨハネによる福音書の、、、」と全ては福音書からの引用のみで信仰を語る。 日本カトリック教会や聖公会や創価学会に所属する私には、どう見ても外典福音書のスピンオフではあるが、そこは何も言わずに 私は「福音書からの引用では無く、貴方の言葉で貴方達の信仰の教理を教えて下さい」と伝えた。 横に可愛らしい幼女を連れている状況では、それ以上の事は私には言えなかった。 彼女は「私よりも上手く貴方と話が出来る人がいます。よろしければ来週に伺ってもよろしいでしょうか?」 私は「信教の自由は誰もが持つ権利です。私は拒絶はしませんよ」 「ただ、最後まで信教の自由は誰もが持つ権利だ!と私が語った事を覚えておいて下さい」 「約束を守れるなら、また来週をお話を聞かせていただきます」と私は語った。 彼女は幼女の手を引いて帰っていった。(続く) (続き)翌週、50代男性と30代前半と思しきの女性2人。3人で彼らはやって来た。 男性は本部からやって来たと名乗る、どう見ても理論武装派ネゴシエーターである。 私の心の中の社会病理ターミネーターが発動し始めた。 今度は福音書だけで無くジェネシスやエゼキエルなども持ち出し大人同士の語り合いになった。 「引用おばちゃん」よりかは話の理解は速い。 彼らはあくまでも「聖書(外典も含めて)」中心にしか語れ無い、聖書原理主義者であった 私は言語学的に常識となっているヘブライ語の多義性や反語表現などに触れた後、彼等にこう言った。 「貴方達はキリスト教団体と名乗るが、貴方達はエヴァンゲリズムもエキュメニズムも混同している!」と啖呵を切ってしまった。 感心したのは、この教団幹部であろうネゴシエーターさんは「ご忠告に従い、一度勉強してから出直して来ます」と謙虚な態度。(続く) 翌週、本当にやって来た(もう来れないだろうと少し嫌な気分だったのだが) 彼は言った「貴方の仰る通り信教の自由は誰からも侵害されてはいきません」 「人間は生きるにあたって様々な困難に遭遇します。そんな時、人間は何かを頼りにしたくなるものです。何にコミットするか?はその人の自由です」 「私は、この信仰を頼りにして生きていきます。信仰の押し売りをしたようで本当に申し訳御座いません」と虚飾のカケラも見られない表情と語気で謝罪してきた。 このようにニュートラルな対話に持ち込まれると、私としては、もう何も言え無い。 私は「人間は一人一人違うものです。お互いコミットメントは違ってもより善き生き方を求めましょうね」としか言えなかった。 彼は最後に質問して来た。 「貴方は色々な知識をお持ちだし咀嚼もされているとお見受けいたします。貴方のコミットメントは一体何なのですか?」 私は「御子イエスが示す方向だけを見つめます。ナザレのイエスでは無く、イエスが指差す彼方にコミットしたいだけです」と自然に口からついて出た。 後から考えて自分自身驚いた。別に創価学会員である事も法華経や日蓮に関しても語る事は出来たのに いや、原始仏教も小乗仏教も大乗仏教佛教も語る事が出来たのに 私は私の、あくまで社会言語学的な欠点に気がついた。いや実存に気がついた。それは 私の中には「エヴァンゲリズム」も「エキュメニズム」も、どちらも存在していない。という事であった。(終わり) 日目上人の宰相阿闍梨御房日郷上人へ 大石寺日道へは法命を継がせていなかったことが判明 「委細承海路之間無殊事云々。抑安房国者聖人御生国其上二親御墓候之間、 我身も有度候へとも老体之間無其義候処、御辺居住候へは喜悦無極候。 相構相構法門強可被立候。国人皆以聖人之御法門廃候由聞候。可被継法命候。 恐々謹言。 五月二日 日目花押 進上 宰相阿闍梨御房」 (日目『與宰相阿闍梨御書』日蓮正宗歴代法主全書1-228ページ) 読んでわかると思いますが、日目は「安房国者聖人御生国其上二親御墓候」と書き、安房への布教の重要性について深く認識していた、 特筆されるべきは日目が日郷に 対して「可被継法命候」と述べていることです。つまり日目は大石寺4世の日道ではなく日郷を「法命を継ぐ者」として 認識していたことになります。 日蓮本仏論どころか血脈も存在しないことが明らかになりました、 つまり日蓮本仏論や血脈相伝を信奉する日蓮正宗・創価学会・顕正会は後世につくられた偽善の教義で成り立つ新興宗教になります ちなみに末文には「進上」という語が見られますが、これは日興上人とこの日郷上人への書状にしか用いられない表現でして、 日目の「法命を継ぐ者」として使命感に燃え房国布教に出たもの です 今、ナイツのラジオで日蓮宗のCMが流れたんだけどいいの? >>599 エゼキエル書の内容は、UFО遭遇の記述がありますね? >>601 日目と日道は叔父甥の親戚だが、法灯に置いては、日道は日興の弟子。 日目と日郷は他人同士だが、法灯に置いては、日郷は日目の弟子。日目の有能な弟子が日目の跡目を継ぐのが常識。 因みに日郷と日道の関係は、兄弟子、弟弟子関係で、仲もそんなに悪くなかったようだ。 言わば「道郷騒動」は、後世の奥州出身の日行らの捏造話と思われる。 日興の跡継ぎは、甥の日代に期待し跡目を継がせたが、一族に継がせた故か、日興滅後、日妙や大檀那から 日代や日助ら日興一族が追放、粛清されてしまった。 >>603 エゼキエル書だけで無く、ジェネシスのヤコブの梯子やイエスの処刑 (イエスの磔は手のひらに釘を刺したのか?それとも手首か?それともロープを巻かれて吊るされたのか未だに解釈は分かれている) 4福音書やパウロ書簡に置いても字面を馬鹿正直に解釈して読む事は出来ない。 旧約であれ、グーテンベルグ聖書であれ、新約聖書であれ。字面に引っ張られては誰も読めない書物である。 これは瀧ノ口においての不思議な光伝説においてもそうである。 不思議な光について馬鹿正直に日蓮大聖人の偉大なる徳の高さと解釈する人も居れば。 國學院大学、東京大学、首都大学東京(旧・都立大学)、神宮皇学館の研究者達の仮説は様々である。 ・日蓮シンパの富裕層達が多額の賄賂を用意した説 ・武蔵七党のケツ持ち説 ・金吾の迷子説 ・佐渡流罪執行前の謝罪の勧告説、司法取引説 (謝罪の意を確認出来れば鎌倉幕府への組織批判、国家転覆を企てる不逞の輩という罪状を帳消しにするという、言わば司法取引説) などなど色々な見解が出てくる。 一例として書いておく。創価学会員には変な人が多いとは良く聞かれる批判ではあるが 創価学会≠ある特定の創価学会員 ではあるし、その変な人を良く観察すると御書原理主義者、聖教・大百原理主義者では無いか?と気付いた事はありませんか? これはどの信仰を中心にした集団至上主義において散見される問題である。 別に普遍性や合理性を無視して信仰している人達が悪いとは全然思わないが 一度、真面目に分析しようとする主体が現れた時、その観察と観測の目は知性的で冷徹な眼差しで無ければならない。 以前、アーミッシュの方々を取材に行った。愛に溢れた善き人達ばかりだった。善き人達ばかりだと私には見えた。 ただ、一つ気になったのは、男の子の名前は全員「エゼキエル」であった。 私の言っている事が読めますか?もし何を言っているのか分からないなら、貴方も法華経や御書を読み解けない人だ。 そして、最後に強調させて言わせてもらいたいのが、法華経や御書を身勝手に解釈したとしても、それがその人の幸福に繋がるのなら誰も批難してはいけないのだと。 アーミッシュで思い出したが、同じ様な話があった。 ユタ州とコロラド州へ取材に行った時に(それぞれ別の社会学的フィールドワークとして) ユタ州と言えば末日聖徒イエス・キリスト教会(日本ではモルモン教と呼ばれる。パックンマックンのパトリック氏やケント・ギルバート氏などが日本では有名な信者) の方々にたくさんお会いして話を聞かせていただいた。 彼等の多くがジェセフ・スミス(立宗の教祖)を否定し、モルモン書を単なるメタファーとして読んでいるのだ。 自分が所属する宗教の開祖・教祖を否定したまま信仰を持っていたのだった。 (ベンサムの功利主義からマイケル・サンデルの共同体としての正義を持ち出し説明は出来るのだが論題がズレるので辞めておく) 強引に例えると、日蓮大聖人を否定しながら学会活動をしている学会員なのだ。 「信仰」の意味と個人の信条を改めて考えさせられる旅であった。 かの聖徳太子が予言書とも云われている「未然記」にて、「日蓮の教えを受け継ぐ者が日本を滅ぼす」との予言を!! 驚嘆すべきは、聖徳太子の時代には日蓮はまだ誕生していない!! 相変わらず板につかない知ったかぶりで支離滅裂な妄想三昧の創価工作員が連投しているが、吐き気がする。 http://fireart.web.fc2.com/bunken/houyou.htm 坂井法嘩『道郷論争と大石寺東坊地の係争』を読んだ。 日郷と日道との間に争いはない。 日郷と日道が争ったとの言い出しっぺは、大石寺の日有。 日道は大石寺には居住していなかったことが濃厚。 大石寺の系譜に、日道を入れたのは日有。 本来は、日興→日目→日郷 唯授一人血脈相承なるものの言い出しっぺは、日有。 戒壇本尊も唯授一人血脈相承なるものも、日有の創作かも知れませんね。 臭素の日蓮は法螺吹きインチキ予言者 子分はでたらめの伝記を書き、記念碑を建てて史実になるのを待つ 法主猊下も名誉会長先生も日蓮団の伝統に従ってやってるのに なぜ争ってるのかわからない 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】 オウムに人材と資金提供していたようです。 犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、多額の財務金を出させ、さらに、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせます。 こうして集めた巨額の資金で、学会は、東京の信濃町や八王子を中心として全国的に土地を買いあさり、池田大作の豪華専用施設をもつ道場を何百もした。 こうしたやりたい放題を続けるために、創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。 創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。 同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。oj 創価学会は撲滅するべきです【浪速建設 一級建築士 岸本晃】代表 日蓮が生まれてもまだ末法 蓮華面経の拡大解釈に過ぎない、立正安国論で日本が滅びたか それでも日蓮のおかげで滅びなかったのか >>579 日蓮って当時の日本の出家制度に元ずく出家をホントにしてたの? 僧侶だったと言えるのですか??? 古代・中世の宗教政策に拘わる論文 ネット検索で読めます。 『日本古代・中世の国家と仏教』 小島信泰 著作 『日本古代の政治思想と宗教政策 に関する研究 』 佐藤文子 著作 『現代日本仏教の特徴 ー妻帯の歴史的背景を考えるー』 簑輪顕量 著作 >>572 この平安時代の坊さんの身分制度は、 司馬遼太郎せんせがとことん調べ上げた 小説「空海の風景」にある最澄さんの経歴ですね。 出家以前の戸籍まで調べることが出来るらしく、 比叡山のふもとの坂本に生まれて、 その村の長と、最澄さんの幼名までが はっきりとした記録で残っている。 意外と身元照会システムみたいなのが 当時もあって、なにもわからないってことは 昔でもたぶんないんだろうな、という感じ。 そして近江国分寺のかなり有名な行表と呼ばれる 大国師のもとに弟子入りをして、 そのときが出家となり、修行が始まるけれど、 かなり秀才なよくできる子供だったらしく。 そのまま修行をつづけ、十八歳ころに、 近江国分寺所属の僧侶が一人死んで 定員が二十人制なんで、一人分欠員ができると、 その後任として推薦され近江の国司の庁に 最澄さんを採用してよろしいか? という願書が提出され、国司の庁は それを審査、許可しその結果の許可の写しが、 なんと京都のお寺に現存しているらしいです。 このお寺の名前は、日蓮教に放火されると困るんで ちょっと伏せときますが、こんな戸籍が書かれていて 三津首広野(本名)、滋賀郡古市郷…(戸籍)…、 平安時代に個人を特定するシステムがすでにある。 >>617 最終的に得度試験に合格すると最澄さんに 「度蝶」と呼ばれる身分証明書が発行され、 これも現存しているということです…。 沙弥最澄年十八、 黒子(ほくろの位置)、頭左一、左肘折上一…。 現代の運転免許証のように、写真のない時代なんで、 そのかわりに体のホクロの位置を証明書に書くのは、 すごい合理的で、信ぴょう性があるな、という感じ。 そして順調に修行もすすんで、二十歳になると、 東大寺の戒壇院で受戒をすることになり、 その証明書である「戒蝶」も残っているらしく、 延暦四年四月六日、僧最澄年廿(二十)。 この受戒は僧官としての任用試験で、 それによって最澄は生涯、官僧としての 栄誉と俸禄を保証されることになった、 と司馬遼せんせの小説には書いてあります。 ところがこの受戒から三か月後には 最澄さんは、官寺からトンヅラして、 比叡山の中の庵にひきこもってしまい…。 せっかくのエリートコースの資格を投げ捨てて、 歴史に名を残す人たちは変人が多いよな…。 ところが平城京から平安京への遷都という歴史的な 大事業が始まり、京都の鬼門で北東にあたる比叡山で、 桓武天皇は若くて聡明な坊さんに出会うことになる…。 >>617 >>618 どうでしょか、平安時代にも戸籍制度があったり、 役所への申請書とその認可証明、坊さんの資格証明書、 けっこういろんな公的文書が残ってて、もう原始時代ではない。 それと比べて鎌倉時代、戸籍から始まって、なにから何まで 一切の公的記録が存在しない日蓮師匠の不自然さで、 唯一の記録である清澄寺のあれこれは、 昭和24年に真言宗から日蓮宗に買収(改宗?)されて、 寺伝が日蓮宗に都合よく改ざんされてるからよくわからん…。 ※※ その一方で鎌倉時代の坊さんの身分制度はどうか、 といえば、日蓮さんよりも二十歳年上の、 道元禅師を見ると分かりやすくて。 道元さんは、貴族のお子さまらしく、 14才で早くも天台座主公円について出家し…、 とあり、比叡山の天台システムなら 菩薩戒をさずかり、このときに菩薩戒蝶という 天台公認の身分証明書が手に入る。 そして23才の時、兄弟子の明全と南宋に渡り、 明全は中国政府発行の僧侶の証明書を手に入れてて、 道元は比叡山発行の菩薩戒蝶しかなくて、南宋では 通用しないらしく、道元だけ三カ月の上陸足止めをくらう。 道元さんは正式な天台僧侶の資格を持ってるわけで、 だから帰国後に、叡山の極悪坊主に京都の寺を三度焼き討ちされ、 どこぞのエア「天台沙門」とは違い、ホンモノだから迫害に会う。 そうすると天台沙門の肩書は、叡山発行の菩薩戒蝶がセットで ないとダメで、立正安国論の幕府提出話も嘘ぴょーんてことにならん? >>482 >>573 金剛経の心不可得も先週書ききれなくて、さらに、 『過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得』 今から千二百年前、大唐国ナンバーワンの金剛経学者を 自称している、自信満々の徳山和尚ですが、 餅売りのお婆さんの、三つのうちどの心に 餅を食べさせるつもりかい? という質問に答えられず、 やや天狗の鼻が折れかけています…(心不可得)。 ところが立ち直りも早く、機転をきかせて、 婆からそのネタを説法する坊さんの名前を聞き出すと、 さっさとその寺に行き、龍譚という和尚に教えを乞う、 素晴らしい行動力の徳山ですが、 真っ暗な寺の廊下で、持ってきた紙ローソクの火を 龍譚に吹き消され、後に残った暗闇になにかを見ることになる。 龍譚に「おまえはなにか気づいたのかい?」と聞かれ、徳山は、 私はあしたから、龍譚和尚の教えが疑いのないものであることを 世の中にひろめようと思います…(紙燭吹滅)。 つぎの日の早朝、かがり火を焚いた寺の庭に徳山が立ち、 その手にはたいまつ、足元には苦楽を共にした 金剛経の注釈書が積んであり、こう言います。 すべての経典を理解したとしても、それは世界を包み込む 巨大な穴に、一本の髪の毛が置いてあるようなものでしかなく、 果てしないほどの谷底に水の一滴を投げ入れることにも似ています。 そういうと注釈書に火をつけ、後ろを振り返ることもなく、 まっすぐに寺を去っていきました…完。 >>617 この時の「国府牒」「度縁案」「戒牒」(何れも所蔵は、 大原 来迎院)の写真が、 天台宗教学振興委員会 編 『伝教大師の生涯と教え』の7頁にありますね。 日蓮や弟子達を私度僧として、勝手に僧を名乗ってる輩とする意見があるが、ブッダの僧伽も私度僧の集まりなのではないか?。 官度僧なる形態も税収を減らしたくない為に朝廷が採用した制度ではないのか?。 大事なのは牒状よりも、僧としての修行だと思うのだが。 聖徳太子が予言した「日蓮の教えを受け継ぐ者が日本を滅ぼす」の「日蓮の教えを受け継ぐ者」とは、日蓮正宗から破門されてはいるものの、まさしく「創価」のことを指しているのは明白!! 聖徳太子も、そのような表現が精一杯だったのでは?と推測 (基本的に予言というものは、はっきり断定するような表現は避けるものだから…) >>622 >大事なのは牒状よりも、僧としての修行だと思うのだが それでは日蓮さんはその大事な僧としての修行をどれほどされたんでしょうか? つか、正式に出家、得度もせずに大事な僧としての修行をさせてもらえたのでしょうか? 教義もダメ、人としてもダメでホントに僧侶だったの?ちゃんと出家して修行したの??って話なんですが。 >>623 >聖徳太子が予言した「日蓮の教えを受け継ぐ者が日本を滅ぼす」 というのは初めて聞きました。ソースをご教示いただければ幸いです。 釈尊在世がBC5世紀前後でほぼ確定でしょ。 すると末法は信長が比叡山焼き討ちした戦国時代で闘諍堅固でぴったりじゃん。 それから宗門の法主が焼け死んで宗門終わって学会の時代が来た。 >>627 戦国時代がおわって平和な時代(江戸時代)が続いていますが? そもそも末法なんて釈尊はいっていませんよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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