日蓮正宗大石寺59世法主であった堀日亨自身が、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」
と断言しているのである。

堀日亨は、自らの著書「富士日興上人詳伝」において、
次のようなことを書いている。
「すでに原殿抄(原殿御返事のこと)の末文にあるごとく、
延山(身延山久遠寺のこと)の常住物は何一つ持ち出していない。
涅槃経の中の二巻を御使用のまま持ち出されたので、
十二月十六日に返還せられてあるくらいで、
したがって日尊実録の中にも『身延沢御退出の刻、公方、聖教、世事雑具等、
皆悉く御墓所に之を置くべきの由、衆徒に触れられし時、面々供奉の人々、
一紙半銭も持ち出ることなし』と書いておる。とうぜんのことである」
(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p280〜281より)

つまり、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨は、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」と、自ら断言しているのである。

そして「日尊実録」の文の意味も、まさにこの意味であり、とうぜんのことである、とまで言い切っているのである。

にもかかわらず、日蓮正宗や創価学会は、信者に「日興は身延離山の時に、すべての重宝を持ち出した」と教えている。そういうことにでもしないと、
日興が日蓮の遺骨やら「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊を持ち出したことの説明ができなくなってしまう。
しかし、堀日亨が言うように、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」ということになると、
大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊も、日蓮の遺骨も、御肉牙も、最初仏も、なにもかもニセモノということになる。