ガンになったり、お亡くなりになられたり
それらは人間にとって全く不自然では無いし、人生の全ての事象が幸福だ・不幸だと
安易にラベリング出来る物では無い

創価学会が信仰によってガンにはならない、脳血管疾患にはならない程の功徳があると言っても
そもそも、その「創価学会」が何を指しているのか?という分析は必要だ

私の会社に初めて中高年のパートおばちゃんを採用した。しかし3ヶ月後には若いバイトの子達が次々に辞めていった。
原因を探ると、そのパートおばちゃんであった。
パートおばちゃんは恐らく真面目な人なのであろう。社内で就業規則以上の自分勝手な規則をバイト君達に提案し
更には、そのパートおばちゃんの「俺様ルール」をバイト君達に強制するに至った。
今迄の職場の社会性と自由を奪われた若いバイト君達は他を求めて辞めていってしまった。
これらは我が社の使用者責任・管理者責任である。社の労働環境を把握していなかった経営する側の問題として真摯に解決策を講じた。

このような問題の責任は、パートおばちゃんにあるのか?
雇う側にあるのか?は皆それぞれの主観の話になるのだが

皆が言う「創価学会」は、経営・指導する学会本部の事なのか?
暴走した婦人部の「こうであって欲しい」という身勝手な俺様ルールの事なのか?