対話ブログのスタンスはスタンスでそれでいいと思うけど、私は
「創価は詐欺だ」「創価に騙された」
という物の捉え方よりも
「私が創価学会に熱中してしまった理由はなぜだろ」
「そんな私は、これからどう生きるべきか」
という捉え方の方がいいと思うな。

これからは創価学会の人生観を整理・放棄して、創価に変わる新たな人生観を作り上げないといけないわけだから。

創価学会員が創価をやめても抜けない悪癖は、何に対しても悪か正義かの定義付けをしなくては気が済まない点。
創価をやめても、「悪は滅ぼさなければならない」という使命感に基づいて攻撃に駆り立てられたまま。
それから、菩薩という慈悲の行動を脅迫的に義務付けられているせいで、惨めな立場の人を探しては自分はいい人として手を差し伸べようとする。

今までは邪宗を攻撃していたが、創価をやめたらやめたで今度は創価を攻撃。
今までは正法を知らない無明の輩を哀れんで正法を下種していたが、創価をやめたらやめたで創価に騙されていた自分が惨めで自己憐憫に浸る。

これではいつまでたっても敵味方という対立構造を作り、敵への憎悪と攻撃が止まない。
また、惨めな立場の人を探しては憐憫していい人を演じる条件反射行動は続いていく。

創価を辞めたら、創価への怒りや騙されていた自己への憐憫という感情の放出は自然で、ある程度必要だと思う。
しかし、どこかで創価で身に付いた悪癖は捨てないといけない。
新たなる人生の為に創価に変わる価値観を身に付けなければいけない。

元創価って、自分探しや自分らしさに基づいた人生観を身に付ける作業がすごい下手くそ。
なぜなら、それらを自分で探したり身に付けなくても創価学会から強制的に与えられてきたから。

学会員や元学会員は、自覚がないままに精神薄弱状態に陥っている。
脱会者はこの自覚にたち戻る勇気が必要。
脱会者には創価への憎悪を掻き立てるのではなく、精神薄弱の自覚や精神薄弱からの自立を促す場があるとなおいいね。