>>106
学会員は、利他とありがた迷惑の区別がつかないんだよ。
各言う俺は、外部の女性の友人で悩みをかかえているのがいて、俺が何とかしなきゃと思って唱題のあと夜な夜な長距離電話をかけて励ました。

会合でもその娘のことを状況報告。
結局、深刻な状況は回避できたんだけど、同窓会で会ったら悩みなんてけろっと忘れててイケメン同窓生とべったり。

自分に下心が無かったとは言わない。
ただ、自分の信心なんてイケメンの前では紙クズだと思い知らされた。
これがきっかけで、女への未練はなくなって学会活動に打ち込むというか、自分の惨めさから逃れるように学会活動一筋になった。
女への未練を部員への愛情に変えた。
学会活動こそが男の生きざまだと信じて。

こういう生き方は自分の勝手だけど、感じたのは学会の活動家になるような奴は過去の俺も含めてどっか心理的に満たされないものを持っている。
日頃世間では満たされない鬱屈したもの、あるいはコンプレックスを学会活動で昇華しようとしているのを活動家連中から感じていた。

利他、というかありがた迷惑は、自分の満たされない願望を相手に投影しているんだな。
自分の満たされない人生を、「私は愛情深い人間」という理想の人生に置き換えて演じたがる。
学会員は利他という思想を悪用して、偽善的な「慈悲深い自分」を相手に押し付けていい人を演じたがる。
学会における困っている人と助ける人との関係は、世間と逆で助ける人が困っている人に依存している。
学会員は「慈悲深い自分」演じるために、困っている人を探しては相手の要望を考慮しない一方的な利他の対象にする。
だから学会員の利他の本質は、自己満足のありがた迷惑。