>>721
>おまえ、まことを誠ではなく本当としかわからない奴だからな
むしろ、あの文脈で「本当の神」ではなく「誠実な神」と読む奴がいるのか疑うレベルwww

 さて十二日の夜は、武蔵守宣時の預かりで夜半に達し、
それから首を斬るために鎌倉を出発したが、若宮小路を出たとき、
四方を兵士が取り囲んでいたけれども日蓮は
「みんな騒ぎなさるな。ほかのことはない。八幡大菩薩に最後にいうべきことがある」
といって馬からおりて大高声で次のようにいった。
「本当に八幡大菩薩はまことの神であるか。和気清磨呂が道鏡の謀略によって首を斬られようとしたときは
たけ一丈の月と顕われて守護し、伝教大師が宇佐八幡宮の神宮寺で法華経を講じられた時は
紫の袈裟をお布施としておさずけになった。今日蓮は日本第一の法華経の行者である。
その上身に一分の過失もない。いま法のために首を斬られようとしているが
これは日本の国のいっさいの衆生が法華経を誹謗して無間大城に堕ちるべき者を助けようと申している法門である。
また大蒙古国からこの国を攻めるならば天照太神・正八幡であっても安穏ではおられようか。
その上、釈迦仏が法華経を説いたときには多宝仏・十方の諸仏・菩薩が集まって、
そのありさまが日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とを並べたようになったとき、
無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神・聖人が集まったとき、
仏に『おのおの法華経の行者に対して疎略な守護をいたしませんという誓状を差し出しなさい』
と責められて一人一人の誓状を立てたではないか。
である以上は日蓮が申すまでもない。
大いそぎで誓状の宿願をはたすべきであるのに
どうしてこの大難の場所に来合わせないのか」と朗々と申しわたした。
そして最後には「日蓮は今夜首を切られて霊山浄土へ参ったときには、
まず天照太神・正八幡こそ起請を用いない神であったと、
名をさしきって教主釈尊に申し上げよう。
これを痛いと自覚されるならば、大至急お計らいなされ」
としかってまた馬に乗った。
(種種御振舞御書より、八幡大菩薩を叱責した部分の現代語訳)