>>748さん
D説は法華経での釈迦へ忖度したものだということですね。
“題目だけでOK”という解釈は経典での文証が無いものですから、厳密に言えば仏教ではないものだと私も思いますが、
法華経物語の中でも、菩薩が釈迦の忖度として語られている箇所があります。
しかし釈迦が一番に言いたかったことが「文底秘沈」だとかっていっている輩達、それこそが南無妙法蓮華経なのだっていう解釈なのですね。
時の都合により釈迦はそれを云えなかったとして、“末法時に題目だけでOK”という解釈を日蓮が説くことになったのですね。
そこで「文底秘沈であるから」・・・というのはこれ一応の忖度であって、日蓮己心だけのものだったのでしょう。
ですが、そのような己心を他人に薦めるということは、それなりに爾前経をも知っている人にだけに述べてみるべきだったと思います。

法華経文中に「南無釈迦牟尼仏世尊」と対告衆が釈迦を仰いでいる場面がありますので、阿羅漢である者達でさえ「南無妙法蓮華経」とは
云わなかったのですね。なぜならばこの法華経での設定では釈迦が生きている所でありますから、仰ぎ奉る対象は釈迦牟尼仏だったと解釈もできます。
しかし、仏滅後の話になれば、そこに生物としての釈迦がいないわけですから、経典信仰というものに変わっていくわけですね。
法華経テキストは釈迦が作ったという前提としての有難味があるとすれば、釈迦よりも経典を仰ぐのはどうかと思います。
いや、区別をつけるような話でもないかとも思いますし。
もしも「南無釈迦牟尼仏世尊」との尊称ならば、この中に法華経に限らず一代聖教をも含むことが可能であって、宗教という分散も少なくなったのかと思います。(日蓮の御書根本は論外w)

>>750さん
そんなことするような国会こそが問題視されませんか。
寧ろ、国有地を安く購入して宗教施設などを建てたものがなかったものかと心配はしますがw

>>751さん
所詮そんなものなのでしょうと、、、、
頭の良い人達という者の行いは凄いですね。
何が凄いかといいますと、改竄したぐらいでは罰など当たらないという事を悟っておられるのですから。w