だいたい、半世紀もの間、原始仏教で語られるようなことを教えてきながら、死ぬ直前になって、今までの教えは方便だ、それはお前らが愚かだったからだ、などと、自分の人生ひっくり返しのとんでもないことを言うわけがない。

そんなことを言うなら、「実は法華経は方便で、本当は××経か私の本意だ。それはお前らが愚かだったから、方便として法華経を語ってきたのだ」ということも有りうる。十年に一度くらい方便のひっくり返しをやりつづけたら良いではないか。

引き回しもよいところだ。

こんなのが釈迦の本意であるわけがない。