>>187
「国重」は長谷部国重作の小刀の銘じゃん、
鎌倉刀鍛冶に、相州伝という流派があって、
弘安二年とは50年ほど時代ずれてるけどな、
弥四郎ってダレだよ。。、


※右のこと(本門戒壇)は、現世と来世にまたがる(幸せを願って)
以前にお話しした通り(???)に作りあげたものであって、

これこそが本門戒壇であり、みんなの願いを奉納するため
弥四郎国重というものが板まんだらを彫りあげ、
法華講その他の衆がそれをお助けしたことを、
ここに敬って申し上げるものであり、、。


↑こんな感じかね、檀家衆がお金を集めて、
名のある彫師とか銘のある小刀で権威づけしながら、
信仰の対象となる板まんだらを彫ったんちゃう?
願主が刀の名前になってる例も見つけたけど、どうなんだろか?
大石寺公式の板曼荼羅ストーリーである、

宗祖日蓮が楠樹に図顕し、
和泉公日法師が彫刻した、、。。。

にある内容がまったく書かれていない添え書きとか、
誰も疑問を持たんのか?書いてないけど日法が願主だろ?
誰だかわからん願主弥四郎もそうだし、

日法の生没年は、1258年 - 1341年1月22日となってて、
1979弘安二年ならまだ21才くらいの若者でしかなく、
その若さであの板曼荼羅を彫ったという主張なわけか。。