>>196さん
御影堂とか奉安堂とかっていう施設物なら「造立」というより「建立」という表現が妥当かと思いますね。
板本尊に刻まれいる端書は【造】となっていますところ、伝える書や言葉や字の意味合いに使われるかと思います。
日蓮御書にこの字で検索をかけても、殆どがそれなりの文字で表現されているかと思います。
端書のはじまりに【右】と書かれているのは、何かしらの文字を指したものか思いますし、
この本尊に書かれた(刻んだ)人が「本門戒壇之」を施設物としてたら、身延から移動はできないでしょう。
日蓮正宗がどのように言っているのかはわかりませんが、教義上にも、、、「日蓮が魂を墨に〜」ていうのがありますから、
この本尊のあるところが本門の戒壇ということなのかと思います。
以前は御影堂に置いていた本尊だったので、そこが戒壇だったのでしょうね。

この端書を読めば、「本門戒壇之」とは板本尊の事であって、本来なら「本門本尊之」と刻むべきものかと思ったりもします。
その本尊が移動しようとも又屋根がなくても、その本尊の前に座る所が戒壇という意味合いならば、
彼等が重視したものは本尊よりも戒壇のほうになります。
一番に大事なはずの、日蓮が出世の本懐のはずのものは何だったのでしょうかw
そこで、日蓮が「造立」などと言うものでしょうかと疑問にも思います。(たまには使ってたみたいですが)
願主が弥四郎国重が神四朗説、実長子息説、架空の人物説と誰だろうが、それ以前の問題がありますよねw

雑文ではありますが、私の頭の限界で述べさせてもらいました。