現当二世の為に之本門戒壇の南無妙法蓮華経と彫刻されました板を造りました。願主は弥四郎国重、法華講衆等に敬白<(_ _)>

こんな感じに私は読んでみました。
本門戒壇だとか本尊だとか、彼等の信心はそれまでなのでしょうね。況や板や掛け軸が法華経の門の扉が障害なって開けることができずにいるから
争うはめになっているのかと私は思います。

法華経本文の分別功徳品にはこのように書かれているんですね。

『阿逸多、若し我が滅後に、是の経典を聞いて能く受持し、若しは自ら書き若しは人をして書かしむることあらんは、
 則ち為れ僧坊を起立し赤栴檀を以て諸の殿堂を作ること三十有二、高さ八多羅樹、高広厳好にして、百千の比丘其の中に於て止み
、園林・浴池・経行・禅窟・衣服・飲食・牀褥・湯薬・一切の楽具其の中に充満せん。是の如き僧坊・堂閣若干百千万億にして其の数無量なる、
 此れを以て現前に我及び比丘僧に供養するなり。是の故に我説く、
 如来の滅後に、若し受持し読誦し、他人の為に説き、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめ、経巻を供養することあらんは、復塔寺
 を起て及び僧坊を造り衆僧を供養することを須いず』

一部の抜粋ではありますが、十五章従地涌出品から読んでもらえば三宝の趣意がなんとなく掴めるのではないかと思います。