>>13>>15
法鑑房も調べてみたんだけど、誰だかわからなくて、
でも「鑑」は「鏡」の異体字でもあるから、

法鑑房 = 法鏡房

ということなら、「法鏡」は仏教の最高概念で、
世界を映し出す鏡のことで、真如、みたいな言い方もあって、

でも、仏教の最高概念を自分の名前にする坊さんなんて
いないよね、もしいたとしたらそれは詐欺師以外には
ありえんと思うから、同じく詐欺師の大聖人とは
うまが合わないのでは・・。

とすれば、この仏教の最高概念を名乗る人物は、
架空の人物で、その仮の人に手紙を書いているのでは?

つまり、架空の人物に手紙を書くということは、
もし誰かに見られても、咎めらない、
新しいアイデアの叩き台のようなものを書いている。

であれば「屋戸野」という有力者には失礼極まりのない当て字も、
外部に見られなければ、大丈夫でしょ。

たぶん、文盲社会だった鎌倉で、だれかが
「やどやにゅうどう」という音のみ聞いてきた情報に、
とりあえず当て字しただけなんじゃないかな、と。

現実の社会で、地位のある有力者の名前を間違えるのは
かなり致命的なことで、首が飛びますから、
安国論御勘由来は、だれにも見せない前提の、
個人的な試作文書のようなものではないのかと・・。