創価学会本部や公明党は、これから公明票が減り続けることは分かっているし、党勢を維持できないことも分かっている。

理由は単純で、創価学会は統監や新規入会者の推移から、会員の高齢化と未来部員減少と新入会者減のスリーコンボが生じていることを自覚しているから。

でも創価公明は、選挙戦はやめられない。
創価や公明の政治参画の建前は民衆のため、民衆が主役になること。
この目的を否定することは、平和団体創価学会の存在意義を否定することになる。

もう一つ理由がある。
この理由の方が重要で大きい。
世間やネットの世界は価値観の多様化が著しい。
創価学会が会員を野放しにしておくと、会員は形骸化した創価学会組織を離れて、世間の価値観の多様性に魅せられ、創価を離れてしまう。
創価学会が会員を繋ぎ止める為には、会員を世間の多様性に晒してはならない。
会員に常時首輪をつけて組織に繋ぎ止めておかねばならない。

会員を首輪で創価に縛りつけて会員が世間という魅力的な世界に逃げないようにするには、選挙のような求心力を要するに活動がうってつけ。
会員に選挙活動をさせておけば、会員は勝利願望に囚われて、公明勝利の為に組織で団結をし、世間の魅力には目が行かなくなる。

選挙戦とは、言い換えれば会員を組織に縛り付けるための手段。
家族は、家族内に困難があると困難を乗り越えようとして家族が団結する。
創価は家族という共同体同様、会員を学会組織で団結させて共同体を強固にするために乗り越えるべき困難を必要とする。

折伏が決まらなくなった現在において、折伏を乗り越えるべき目標や困難として用いるのは難しい。
ただ選挙のF集めならば、折伏を決めることほど難しくはない。
また、当選という目標や勝利の喜びは単純で乗り越えやすい困難。

創価学会が滅びの道を歩んでいることは明白。
それでも少しでも滅びを遅らせるためには、手を打たなければならない。
創価がその為に用いている手段が公明支援という選挙活動。
逆に言えば、選挙活動以外に有効な組織団結手段は残されていない。
創価は延命のために、会員に選挙ドーピングを射ち続けるしかないのだ。