特筆すべきは「法主の指示があればいつでも独立した講を発足する」との発言。
樋田は講幹部に再就任しない理由を挙げたが、真実は人望の無さであった。
この点、虚栄心を満たす環境が整えば(僧も自分の力を認めさせる形で)
やるということである。凝視すると彼の生涯には驕慢が貫かれていることが解る