>>335さんの後半の文章は、実に正直に私見を呈していて清々しい。
「自分に対しては難しい」
という逡巡は多かれ少なかれ2世3世(アイデンティティに関して考察を始めた)にとって共有する悩みですね。

本来、その様な悩みは存在する事は無いのです。
仏教で例えれば(哲学や文学でも例えられますが今は仏教を出します)
「縁起」と「空」を理解出来れば、サラリとその迷妄を払拭出来その迷妄を消す事が出来ます。

しかし、その難しさの一つに「時系列的な過去の自分の客観的事実の背負い」という自身の履歴です。
本来、仏教的にはその様な履歴さえも「無常」でありと考えれば楽には慣れるのですが
特殊な文化圏において特殊な仏教解釈(学会員誰もが論拠を示しせぬという意味で特殊なのです)
に育てられた2世3世には、既に何らかのアンカリングを受けている以上
その苦しみや逡巡から逃れる為には、自分自身でアンカーを抜くという作業
(極端に言うと洗脳解除)という工程が必要なのです。
つまりゼロからのスタートでは無く、マイナスからのスタートになります

>>335さんは自己を客観的に観ようとする立派な(知性的な)知見が伺われます
2世3世は皆なんらかの形として創価学会文化圏という亡霊と対峙しなければならない
時期に自分を見つめ直す事を強要されます。
例え私達が「環境の犠牲者」であっても、幼少時から作らされたゲシュタルト(思想的構造)を
「自ら壊す勇気と恐怖」におののいても
私達、2世3世が悩む問題は、実は本来存在する筈の無い問題として
全ての2世3世が明るく大笑いしながら社会学的にもメタ認知をされて
晴れ晴れとして生きていって欲しいと思っています。

あーあ!バカバカしい、こんなくだらない事で悩む必要無かったんだよ
そんな事より欲しい靴の為に週2ぐらいでバイト始めようかな?

全ての2世3世が、こんな感じでフットワーク軽くサラリと問題を突き放して
一番大切な、一番したい事に楽しむ事を願っています。