社会に出て一般的な感覚を身に付けると、創価がいかにおかしな団体か分かる。
分かるのはいいんだけど、子どもの頃からやっていた事、見聞きしてきた事に違和感を感じる。
慣れていたはずのものを受け入れられず、如何に自分が創価教育を施されていたのかを知る。昔の自分を恥じる。

自分の場合はそう思っていても否定しないが、他人の場合はそういう考えを全否定したくなる。
全ては創価教育を施した親と創価学会のせい。何も恥じる事はない。
思考停止してる人達が多い中、考える事を止めず、自分を取り巻く環境に向かい合う。
これだけでもう立派な人間なんだ。
って、他人に対しては思えるんだけど、自分に対してはなかなかに難しい。
そういう事は往々にしてあるけど何故だろう。自分の事が嫌いだから?自分だからそう思ってしまうとか?客観的に自分を見られないから?