日蓮って天台に関わる中でもアウトサイダーだよね。これは当時の社会的ポジショニングとりわけ
鎌倉時代の政権・主権に取り込まれるか?切り捨てられるか?というポジションの争奪戦でもあった訳だよね。
現代でも、この生き残りゲームはあちらこちらで散見される。
宗教団体でも経済団体、専門職業人の連盟でも政治力・発言力を持つにはそれなりの戦略と戦術が必要だ。
「虚虚実実の駆け引き」によってセグメント化したパワーバランスを統合していかなければならない。
このスレにとって格好の例として、創価学会と三菱、スーパーゼネコン、国土交通省、外務省、自民党、神社本庁、朝道院
これが一番分かりやすい例だと思うけど
日蓮の過去の客観的事実を詳らかにする事は困難ではあるにしても、残された文言から何らかの文脈を辿る事は出来る。
どう考えても器用に生けて行けるタイプでは無い。それは
元々、社会不適応、適応障害、発達障害、人格障害、精神障害、ソシオパスだったのか?
挫折を繰り返す事によってルサンチマンの歪曲した論理、対立概念を持ち出し他人を納得させ、自分をも納得させる為の
自己欺瞞から始まったものなのだろうか?

現在の創価学会も日蓮正宗も私は否定する立場では無い。むしろ新興宗教や宗派仏教には全く興味が無い。
ただ、何故日蓮が大衆操作、人心掌握、の為のアイコンとして利用されているのか不思議でしょうがない。
自分たちの払うお金が、どういう経路でどこへ流れ着くのかを知っていながらパチンコ屋へ通う人を見た時と同じように
不思議でしょうがない。