◎戒壇の大御本尊が大聖人御在世には存在していなかった証拠の数々

(1)日興上人が身延を離山し、富士に移る際の宝物の中に板本尊の記録は無い
(是1)

 堀上人が昭和39年4月に「富士日興上人詳伝」という分厚い歴史資料集を
執筆されて、日興上人が身延を離れ、富士に移られてからの事跡や、その後の
大石寺派となってからの悲惨な歴史などを紹介されていますが、その中の
日興上人が身延を離山する際の資料等の中には、どこにも板本尊についての
記録はありません。そればかりか、伝説としての板本尊の存在に疑義を投げ
かけておられるのです。

「板本尊いたっては研究の余地が存ずる。」
「すでに原殿抄の末文にあるごとく、延山の常住物はなに一つ持ち出していない。」
「当初の日円入道(波木井実長)には、夢にも富士の板本尊を渇仰する思想はなく、後世もまたしかりであろう。本師は現に原殿抄全文を引用しながら、板本尊を延山が奪い返そうとするなんどの記事は、あまりにもまた(荒唐)無稽の沙汰である。」
「これをもって無条件に準守する頭脳を切り換えてもらいたさに数々書くのである。」

等と、若干婉曲ではあるものの、数百年にわたる伝説によって作られた既成概念
(日興上人が身延離山する際には、戒壇の大御本尊を含め一切の宝物を奉持して
いたとする思い込み)を変更することを何度も示されているのである。
 要するに、日興上人が身延を離山した時に、板本尊は存在していなかった、
というのが堀上人の結論なのです。