【法華講】日蓮正宗に帰ろう 方便品第二【歓誡】 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
創価学会と日蓮正宗の今後の関係性について議論するスレです。
■前スレ
【法華講】日蓮正宗に帰ろう【歓誡】
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1416184460 >>371
紋は鶴丸紋で殆ど汚れていない御本尊だったのでほぼ100%正宗だよ
創価で鶴丸紋使ってたとしたら御本尊は古い
録画してたやつのキャプを待つしか無いけどあれは創価ではないはず >>372
創価の家でも、新しい御本尊+古い仏具という組み合わせは普通にありえるんだが 日如の本尊だったから100%日蓮正宗
創価員で日如の本尊など持ってる人はいない 創価の連中が未だに持ってるのは悶絶死した細井日達の本尊ぐらいだから
ま、なんにせよ日蓮正宗ごときの本尊が映ろうと創価の本尊が映ろうと
顕正の本尊が映ろうとカルト団体の本尊など見るに堪えないものだが >>374
>日如の本尊だったから100%日蓮正宗
「あっそ、だから何?」としかw 日如の汚い字の本尊など見せられてもねぇ
日寛のも見たくないしw >>379
は?w
頭わいてるな、創価の工作員はw おいおい日蓮正宗ってこんなことしてんのかよ、亡くなった人を利用して布教
https://www.youtube.com/watch?v=gIQlWsQTxgo
マザーテレサの遺体の姿は 決して 誉められたものではなかった 014 日蓮正宗法華講樋田は
「マザーテレサは口ががぁっ!と開いて包帯で巻かねばならなかった。
魔にど憑かれた顔。いくらボランティアしても邪教だから意味ない。
一方仏法を正しく信仰した者は死後鼻が高くなり、柔らかくなる。
これは科学じゃ説明ができないよね」って(爆笑)
マザーテレサがやった事がボランティアだって?こいつ神学も解剖、
生理学すらもかじってないのがバレバレ。
YouTubeで動画挙げて死者を冒涜、他宗教を批判する奴が、ノーベル平和賞受賞者について語るなよ、
その前に高校の世界史と生物からやり直して大学行ってこいって感じだ。恥ずかしい。
こんな宗教を信仰してる奴の頭の程度が知れる。邪教は日蓮正宗のお前ら自身だろ。
※他にも邪教を信仰していた人の末路という事でモザイク付きで病人の生前と死後を撮影、アップ。
不謹慎極まりない、オウム真理教並の悪質さ。 公明党は日蓮正宗信徒の戸田城聖がつくった党ですよね、奥さんと子供は常在寺信徒
日蓮正宗創価学会の政治進出は、日蓮正宗創価学会第2代会長・戸田城聖の時代である。
1955(昭和30)年4月の統一地方選に「文化部員」を候補者として立て、
東京都議、横浜、川崎の両市議選などで、一挙、52人を当選させた。
翌56(昭和31)年7月の参院選では、3人を当選させ、国政進出を果たし、
これを足がかりに、創価学会が公明党を結成 日蓮正宗・創価学会・SGI・顕正会・正信会…に、関わりを持った、
あるいは日蓮正宗や創価学会などの内紛・抗争に巻き込まれたことで、
家族の絆・肉親の絆が引き裂かれたり、悩んだり、苦しんだりした人の数は多い。
日蓮正宗系各教団による強引で執拗な折伏・勧誘の渦中で、日蓮正宗と一般世間
とのはざまで、日蓮正宗と創価学会・顕正会・正信会の間の戦争のはざまで悩み、
泣き、死ぬほど苦しんでいる人たちの悲痛な叫び声、怨嗟の声が数えきれないほど
たくさんある。
総じて日蓮正宗がらみの宗教被害は、過去の日本の歴史において
(特に第二次世界大戦後においては)、最大のものだ。
全国600の法華講のうち599の講中に布教能力が全くないとしても、残るたった
1つの講中にカルト布教するエネルギーがあることが問題なのである。
創価学会はまさにその「たった1つ」の講中から勃興したのであり、
その創価学会に触発されて、妙信講(今の顕正会)法道院・本行寺・
妙観講(今の法華講連合会の中心勢力)が勃興してきたのである。
カルト教団というものは、ガン細胞と同じように増殖するものなのです。
さらに言うと、日蓮正宗・創価学会から発生した公明党が現在、政治権力に
食い込み、公明党の政治が否応なしに私たちの生活の中に入り込んできている
ことを見逃してはならない。
しかし今、日蓮正宗も創価学会・SGIも顕正会もその他の分派も…何の弁解もなく
、何の釈明もなく、何の謝罪もなく、かつてと同じく強引で執拗な折伏を展開して
いる。日蓮正宗・大石寺は、直系の信徒団体・法華講や妙観講などを
「第二、第三の創価学会」「第二、第三の顕正会」化せしめて強引な折伏・勧誘を
展開させ、日本中・世界中に再び数千万信徒をつくろうとしている。
日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会など日蓮正宗系宗教団体が繰り広げている強引・執拗な折伏・入信勧誘は、過去に積み上げてきた「日蓮正宗の悲劇」の拡大
再生産でしかなく、国民の信教の自由・不信教の自由といった、基本的人権や権利
の重大な侵害に他ならない。
日蓮正宗は永きにわたって、善良な人々の心を弄び、騙し、日蓮正宗の信者、元信者から一般国民までも欺瞞してきた重大な責任をとれ。 創価学会は日蓮正宗の法華講の一つでした。
日蓮正宗法華講総講頭であり、創価学会の最高指導者である池田大作
付け加えますと
池田大作は、日蓮正宗の信者の最上位・ナンバー1の職である「日蓮正宗法華講総頭」に、1964〜1979年と1984〜1990年の、通算21年間就いていました。
1979〜1983年は日蓮正宗法華講名誉総講頭でした。
1965年に任命したのは66世細井日達、1984年に任命したのは67世阿部日顕でした。
北条浩、秋谷栄之助、森田一哉、小泉隆、白木薫次、森田悌二、青木亨、辻武寿、和泉覚ら創価学会の古参最高幹部たちも1990年までは日蓮正宗法華講大講頭(ナンバー2)の職にありました。(あるいは歴任していました)
彼らの生みの親・育ての親・本家本元は日蓮正宗であり、今でも根本の本尊・教義・信仰活動などは日蓮正宗とほとんど同じです。現在でも日蓮正宗も創価学会も、違いはありません。
戸田城聖と池田大作の二人は日蓮正宗を代表する信者そのもの、
牧口も戸田も池田もいまも日蓮正宗大石寺に墓がある
日蓮正宗総本山.大石寺.典礼院墓地、K区画 には、池田大作建立の池田家のお墓と、
日蓮正宗功労者の碑と、その碑文があります
父・子之吉、母・一、兄・喜一、次男・城久 が納骨
典礼院に向かって五重塔の上の道路右側に、墓石屋さんがあります。
そのわき道を入っていくと、【K区画】と書いた看板矢印があります。その矢印の示す、木立の中です。
中に、大きな赤御影石の功労者の碑と、碑文が見えます。
生垣で池田家のお墓は区切られていますが、碑文の後ろに当たる所に、
お墓はあります。名刺受ポストもあります。池田も死後はここに入ります
ちなみの戸田城聖と牧口常三郎のお墓は、五重塔の左横にあります。 696 名前:あー汰 ◆AAATAN//dRDi [sage] :2018/10/27(土) 21:33:03.25 ID:K0FVmGhN
>>691
どうしようもねえ捏造するなあこの朝鮮人はヾ(。・д・。) 国教樹立の話出てるけど、そもそも日蓮正宗の仏法を誹謗するヤツらを国家が取り締まる必要は本当にないのだろうか
理証つまり物事の道理から言うなら、たとえば人体をダメにする薬物をなくすには
単純に啓蒙活動するだけでなく、ちゃんと法的に規制するのも大事だよね
謗法が国に災禍をもたらすっていうなら国が謗法を取り締まるのは至極当然なのでは?そしてそれは現代みたいな政教分離体制で果たしてできる事なのかな
まして日蓮正宗では謗法は殺人より罪が重いっていう教えなんだろう?その信徒が仏法を国教にする必要がないと言うのは
一般世間で麻薬や覚醒剤の売人を野放しにしろと言うのと変わらないでしょうよ いまだに日蓮正宗がカルト扱いされるのは、マジで創価のせい
日蓮正宗の中にいる俺に言わせれば、元々の日蓮正宗は普通の伝統宗派でしかない
創価が大きくなる前の日蓮正宗は穏健だったし、創価を破門して27年も経った今では元の穏健な宗風に戻っている
(引用ここから)
さて先日、昭和以降の大石寺宗門が創価学会から返って影響を受けて、他宗派排斥や厳格な謗法払い等、排他性を強めてきたことをブログでやや書きました。
ところが、歴史的に見れば、かつての大石寺は浅間神社に本尊を奉納もしていて、法華経が天下一同に広まると本化垂迹天照大神宮に神が宿るという、京都要法寺に近い教義を採用もしていました。
(中略)
大石寺の三門にはかつて「順逆ともに来たれ」と書かれていたことは信徒の間でも、また宗門内でも史実としてよく知られています。
例えば大石寺9世日有は『有師化儀抄』には次のように書かれています。
「法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧る事あり、之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-75ページ)
つまり「順逆ともに来たれ」というのは、他宗の教えであってもこちらに礼儀を尽くす者は順縁であると捉える教義だろうと思います。
歴史的に見れば、大石寺は富士門流の諸本山から様々に教義上の影響を受けてきました。
例えば二箇相承は北山本門寺に伝わっていたとされるものですし、日蓮を本仏とする思想は保田妙本寺14世日我の『化儀秘決』で先行して説かれたものです。
また敬台院の支援で細草檀林が建てられ、八品派からの影響が大石寺にあったことは疑いないかと思います。
(中略)
つまり本来の大石寺は自山に独自のアイデンティティがあったわけではなく、他山の影響を受けながら様々な教義を取り込んで宗派を形成してきたわけで、
近年の他宗派排斥・批判に見られるような独善性は、本来戸田城聖由来の創価学会の「謗法払い」のような排他性が返って大石寺に影響を与えて今日に至っている、
というのが偽らざる実態であろうかと思います。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/10/27/000000
(引用ここまで) 創価の初代牧口、二代戸田両会長が逮捕拘束された時日蓮正宗は何をやってたのか
何ら助けようともしなかったのではないのか 戸田会長は出獄後、本山に恨みつらみを言っただろうか
そもそも、そんな心根では受け入れてもらえないと思うし発展もない
すべては、破門後の捏造と見るのが妥当 >>392
>創価の初代牧口、二代戸田両会長が逮捕拘束された時日蓮正宗は何をやってたのか
>何ら助けようともしなかったのではないのか
当時の国法を犯した明白な「犯罪者」を助ける義理は無かったと思うが? 日蓮正宗を誹謗中傷している創価信者は
来月18日に創価の衰退を証明する公式発表を聞いたら
脱会するの?
それとも腹でも切るの?w >>393
戸田時代の聖教読んだことある?
生臭坊主だの糞坊主だの正宗僧侶をボロクソ罵るような言葉も山ほどあったけど
>>394
たとえちょっと国法に触れたにしても何らかの手を差しのべてやろうとは思わなかったのか
長年同じ宗教信仰してきた仲間だろうが >>396
だからそれはぜ〜んぶ破門後、突然出てきた現象
仮に戸田会長が宗門の悪口を言ったとして、そこまでいわれて護ってもらう所以は
宗門にはないと思うが
だから学会は破門された つまるところ、日蓮正宗が信仰者としても人としても尊敬に値する僧侶ばかりだったら
学会も顕正会もそこまで僧侶を見下すようにはならなかったということ
みんなは正宗僧侶たちを心底から尊敬できますか? 尊敬というより人間同士の信頼関係だと思う
僧侶には僧侶の役目があるし、信徒は外護する役目を持つ
嫌なら離れればいいだけで悪口云う必要もない ID:iirwjKHC
創価新報を鵜呑みにしていると、バカを見るぞw
俺はバカを見た
長年、創価新報に書かれている「日蓮正宗の実態」を信じていた
だが、脱会して日蓮正宗に移ったら、創価新報の記事は、ほとんど嘘だった
「信徒を見下す冷酷な坊主ども」
「日蓮正宗の信徒は法主の言いなり」
「日蓮正宗の信徒は坊主どもの奴隷」
「日蓮正宗では信徒は徹底的に供養を搾り取られている」
全部、嘘だった
むしろ、そういう状態になっているのは創価の方だ
次に生まれる時は、最初から法華講員か日蓮正宗の御僧侶の家に生まれたい
創価信者の家には二度と生まれたくない
まぁ、もうすぐ創価は滅びるだろうけどなw 創価がほろぶ☆
創価がほろびますゾ☆
(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ ID:HLpaA/zM
それなら正宗僧侶が具体的にどんな人たちなのか、人柄はどうなのか
具体的に教えてはもらえませんかね? >>403
創価新報に書かれている「糞坊主」とは真逆の人たち
完全にあれの反対w
いやもうほんとに、今時よくあそこまで平気で嘘を書いて宣伝できるものだと思うわ
戦時中の大本営発表も顔負けだよwww だから俺は普通に日蓮正宗の御僧侶を尊敬しているよ
創価新報に書かれているような「糞坊主」がいたらもちろん軽蔑するが
そんな「糞坊主」は近隣の寺にも総本山大石寺にもいなかった 実態はどうだか分かったもんじゃないぞ
ただ表面的な、上っ面だけ見て言ってるんじゃないだろうね? >>406
どんだけ創価新報を信じてんだよw
脱会者の俺の中では日蓮正宗の御僧侶方は
「すごく腰が低くて礼儀正しくて気配りもできて親切な人たち」
という印象なんだがw 法華講の人たちも、すごく親切で温かいよ
創価にいた頃と違うのは、日蓮正宗の中で出会う「善意」はすごく自然だということ
創価の中で出会う「善意」って、すごく人工的・作為的なんだよね
「池田センセイが同志を大切にしなさいと言っているから同志を大切にします」
「池田センセイが社会に貢献しなさいと言っているから社会貢献します」
万事この調子
悪いけど、創価を辞めて日蓮正宗に移って、初めて「真心」というものを感じることができたよ
「ああ、御書に説かれている『心こそ大切』って、こういうことなんだな」
って、「言葉」でなく「心」で理解できた 「東池袋」でスレタイ検索すると、あのアイドルグループの他にこんなスレも出てくる
【日蓮正宗】常在寺、法道院について語ろう【東池袋】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1540627975/ うちにも新報を月1,2回勝手に入れてくる
あれを読んで信じる信徒はいない
学会の組織防衛の為とはいえ、他宗をここまで罵詈雑言できる組織構造に驚かされる
信仰団体の機関紙ではなく、アジビラレベル >>391
日蓮の花押切貼
日禅授与本尊を元に切貼創作するのは普通の伝統宗教じゃねぇだろwww 無責任なこと言うなよ
日禅授与本尊を元に切貼創作した証拠あるのか? >>413の言うとおりで、偽造したという根拠が薄い
本門戒壇大御本尊については古来より日蓮正宗と他宗との間で論争されていて、もう議論し尽くされている
結論すると、偽造であるという確たる証拠も根拠も無い
日禅授与本尊を元に切り貼りした偽物と主張しているバカについては、メールをやりとりして完全論破したことがある
彼のサイトに提示されている↓この画像を見てほしい
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/zensi_chokoku.jpg
彼の主張によると
「本門戒壇大御本尊は、日禅授与本尊に紙を重ねて文字の形を写しとり、それを別の板に貼って彫刻したもの」
ということだが、それなら上の画像のように2つの本尊の文字の位置がずれるはずがない
そもそも、その主張が真実であれば、本門戒壇大御本尊と日禅授与本尊の文字のサイズは必ず同じでなければならないが、それをどうやって確認したのか?
日蓮正宗総本山大石寺に不法侵入して、厳重に保存されている本門戒壇大御本尊の文字の大きさを計測したのか?
言っていることが矛盾だらけで、くだらなすぎるw >>414
贋作板曼荼羅が本物だと、本尊七ヶ相乗が偽書か歴代法主、特に上代が謗法法主になると云う事が理解出来ない頭割れが正宗系カルト儲w >>415
宗教なんてそんなモンだよw
戸田も池田大作も、「大御本尊様は絶対ですぅ」「御本尊様を離れての信心はありません!」って学会員を指導してたからなw >>414
パッチワークで写したからズレてるんだろうが。 正宗信徒はチョボチョボしか居ないから会ったことないけど、知ってる学会員皆んな「大御本尊様は絶対です!」って言ってたよw
学会員一人ぐらいは疑義を唱える人が居てもいいと思うけど、創価学会員皆んな、池田を始めとして「大御本尊様は絶対だ」と目を三角にして主張してたw
学会員に「大御本尊様を馬鹿にすると地獄に堕ちるぞ」と言われた。
脅しのつもりだったのかなww >>415
その批判も見飽きたw
「本門戒壇大御本尊は特別な御本尊だから通常の御本尊とは違う書き方をした」
という見方も可能
そもそも、江戸時代の法主である日寛上人も、厳密には御本尊七箇相承に沿っていない御本尊を書かれている
それが現在の創価が授与している偽本尊w
法主がどのような書き方をするかは法主の自由 >>419
パッチワークで↓このように文字の位置をずらすことは不可能
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/zensi_chokoku.jpg
なぜなら原本の文字が何箇所も重なっているからだ
そもそも文字の位置をずらす意味が無いw
さらに言うと、「切り貼りだから文字の位置がずれた」という主張を百歩譲って認めるとしても、文字の大きさは両方の御本尊が完全に一致しなければおかしい
で、どうやって本門戒壇大御本尊の実物の文字の大きさを計測したの?
大石寺に忍び込んだの?w ほんと日蓮正宗を敵視する奴らって頭が悪いなw
まさに頭破作七分だねぇwww
(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ >>419
法主の自由ってことは正に本尊七ヶ相乗が嘘って事だろw
しかも年代が下ると中途半端に七ヶ相乗を意識した書き方w
後、こう云う教学批判は創価儲しかしないと云う固定観念は捨てた方がいいぞw
一般常識からいっても嘘吐きとか捏造する奴は嫌われて当然だからね
>>420
文字のサイズは一緒だろw
独歩氏も記事にしてる >>420
画像は法華構から提供あったと言明されてたと記憶してるがね
しかし、創価含めこの板の正宗系カルトはホントに頭割ればかりだなw >>423
>法主の自由ってことは正に本尊七ヶ相乗が嘘って事だろw
どの程度自由に書くかは法主本人次第だろ
おまえってゼロか100かでしか考えないタイプか
アスペだな
頭の病院に行ってこいw
>文字のサイズは一緒だろw
>独歩氏も記事にしてる
× 文字のサイズが一緒
○ 文字の比率が一緒
正確に読めや低能w ウチの本尊様は絶対に正しい。アッチの本尊は偽本尊だから罰が出まくり。
たく、何考えてるんだろねw
ま、信仰の自由があるから勝手にすればいいけどさww >>424
>>425に述べたとおり
頭が割れてるのはテメ―だボケw
手間取らすな >>419
違う書き方も何も日蓮真筆自体が七ヶ相乗通りじゃ無いんだから
そんな口伝残した日蓮が頭割れだと気付けないのが正宗系カルト儲の頭割れwww
流石日蓮の花押も平然と切貼する捏造教団の儲やってるだけの事あるわなwww >>429
うんだから、どの程度自由に書くかは日蓮大聖人あるいは法主本人次第だろ
おまえってゼロか100かでしか考えないタイプか
アスペだな
頭の病院に行ってこいw
何度も言わすなボケ >>425
七ヶ相乗で細かく指定されてるんだけど?
仕事終わったら諸々引用するから楽しみにしとけよ、頭割れwww >>431
うんだから、どの程度自由に書くかは日蓮大聖人あるいは法主本人次第だろ
おまえってゼロか100かでしか考えないタイプか
アスペだな
頭の病院に行ってこいw
何度も何度も言わすなボケ そもそもの話、法主は日蓮大聖人の代理人として日蓮大聖人名義(「日蓮在御判」等)で御本尊を書いているんだから、日蓮大聖人と同様、御本尊の書式をある程度自由に書いても責められる筋合いは無い
だから、御本尊七箇相承が既に確実に存在していた時代の法主である江戸時代の日寛上人も、厳密には御本尊七箇相承に従っていない御本尊を書いているんだがなw
それがわからないアスペwww 信仰してる本人は真剣なんだろな
この神様が絶対!
あの神様は邪神だから罰出まくり!!
大の大人が一生懸命ww 反論するつもりなんか無いさw
みんなが自分の好きな宗教を信じればいい。
「星に祈れば願いは叶う教」でもいいし「この板に祈れば願いは叶う教」でもいい。
馬鹿にしてるわけじゃ無い。誰だって自分の信仰にケチつけられたくはないだろう。 ウザい折伏があるから嫌われるんだよ
日蓮正宗の訪問折伏とか街頭折伏とか創価と変わらん >>420
『風塵舎/本門戒壇大御本尊に対する邪妄を破す』に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50883764.html
斯かる計測を行えばわかることだが、130舗足らずの御筆大漫荼羅のなかで、ただ1舗も「本門戒壇の大御本尊」と言われる彫刻と相似関係にあるものはない。ただ、日禅授与漫荼羅のみが相似しているのである。
〜中略〜
必ず、結論が悪口雑言になる心中は同情に値する。
そして、ここでも大きな勘違いをしている。彫刻本尊は、日禅授与漫荼羅を臨模・作為した模造品なのであって、単なる模写ではない。ありもしないものをでっち上げた贋作である。正式に模写であることを示す善意に満ちた代物ではない。
http://livedoor.blogimg.jp/saikakudoppo/imgs/0/1/019a90ac.jpg?blog_id=469468
「風塵舎/犀角独歩と称する妄乱を憐れむ」に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50891234.html
まず、この点から記そう。
『日蓮正宗大石寺』によると、日禅授与漫荼羅は丈111センチ・幅58.3センチ。
また、大石寺第48代日量『富士大石寺明細誌』に「本門戒壇の板大漫茶羅竪四尺七寸五分(144センチ)横二尺一寸五分(65センチ)」と書いてある。
この寸尺によって、並べたのが上左の写真である。中央首題、同じ大きさではないか。
日顕氏の言い訳を鵜呑みにするから、こうした事実が見えないのである。
http://livedoor.blogimg.jp/saikakudoppo/imgs/1/c/1cf40743.jpg?blog_id=469468 風塵舎の遁走で落着
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50892089.html
大石寺六壺安置の日興本尊も贋作
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50865483.html
かつて大石寺には持仏堂という堂宇があったというが、これが六壺の一室を指すのかどうか。それはともかくとして、その持仏堂には乾元4年書写の日興本尊が安置されていたといい、それを模刻した板彫刻が、現在の六壺安置の板本尊である。
この板本尊は、複数造られ、真光寺、妙光寺といった石山末寺にも安置された。
この板本尊原本の紙幅写真を、わたしは見たことがない。
日興の本尊を載せる『日興上人御本尊集』(興風談所)にも、その所載がない。
富要を見ると
「(真光寺板本尊日興上人御本尊彫刻)
乾元四年八月十三日、富士大石寺持仏堂安置の本尊なり」
とある。
この本尊につき、不審を示したのはれん師だった。
まず「乾元四年」だが、この年号は存在しない。乾元は元年だけであるからだ。
富要の編者である堀日亨が「八月十三日」と明記しているのにもかかわらず、大石寺発行の『冨士年表』では、これを嘉元(1303)元年8.13の項に記している。
〜中略〜
それにしても、祖師「日蓮出生の本懐・本門戒壇の大御本尊」という彫刻本尊が実はまったくの作り話・後世の捏造品であったことに併せ、大石寺発祥の堂宇といい、そこに置かれる2祖日興の本尊まで偽物であることになる。
これほど、ひどい話はあるだろうか。
さらにいえば、3祖とする日目の縁故で成った大石寺であるのにもかかわらず、その当の日目の墓もない。いったい、大石寺の実態とは、どうなっているのか。
これは悪口でも何でもない、偽らず事実なのだ。
嘆息を禁じ得ないとは、このことである。 真光寺本尊模造の方法を検証する (2)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50869312.html
【検証】諫暁八幡抄に切り貼りされた竜門御書の日蓮花押
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50957710.html
大石寺に良心はないのか?
写真左は『日蓮正宗聖典』(昭和38年)に掲載された大石寺所蔵『諫暁八幡抄』日蓮花押、右は『竜門御書』の日蓮花押である。
一見してわかるとおり、同じものでる。
大石寺は『日蓮正宗聖典』を発刊するにあたり、所蔵の『諫暁八幡抄』の末に、あろうことか、同じく所蔵する『竜門御書』(上野殿御返事)の日蓮花押を切り貼りしたのである。
「噴飯もの」という言葉がある。日蓮を本仏と仰ぎ、宗祖、菩薩以上の扱いをする教義を鼓舞し、かつまた、同宗の聖典として発刊した本に、このような悪行を平然と掲載したのだ。これが商品取引であれば、詐欺に当たるだろう。
〜中略〜
それにしても、宗祖の真蹟に、あろうことか、他の日蓮花押を切り貼りして、平然と出版する有様は、その信徒と世間を愚弄する悪行といわざるを得ない。
こんなことを平然とできるのは、「本門戒壇の大御本尊」と謀って偽の彫刻を捏造し、日興持仏堂安置本尊を謀って、これまた、偽の彫刻を捏造し憚らない、この寺の昔ながら体質を受け継いだものなのだろう。
http://livedoor.blogimg.jp/saikakudoppo/imgs/f/f/ff1fa60b.JPG?blog_id=469468
http://livedoor.blogimg.jp/saikakudoppo/imgs/b/2/b27824dc.JPG?blog_id=469468 御本尊七箇相承
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/yousyuu/yousyuu1_1.htm
一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。
日蓮聖人大漫荼羅一覧
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html 『七箇相承』の「書くべし」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/11/23/000000
『御本尊七箇相承』において「書くべし」とされているのに、そう書かれていないんですね。
『七箇相承』には「之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」とまで書かれているのにも関わらずです。
こういうところからも、大石寺の教義というもののいい加減さがなんとなくわかる気もします。
日興も「日蓮聖人」と本尊に書いていること。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/08/25/000000
いつもみなさん、ありがとうございます。
さて先日、大石寺3祖日目の書写曼荼羅(正中3年卯月、小泉久遠寺蔵)を画像を挙げて紹介しましたが、ここでは『御本尊七箇相承』で「日蓮在御判」と書くべきとされているところが「日蓮聖人」と書かれていることを紹介しました。
また以前、ブログではこの『御本尊七箇相承』の指示と相違する「日蓮聖人」という書記法が他にも大石寺6世日時や第8世日影にも認められることを紹介したことがあります。
〜中略〜
具体的に言いますと、次の3体の曼荼羅では白蓮阿闍梨日興自身が『御本尊七箇相承』の指示と相違して「日蓮聖人」という書記法を採用しています。
1、正応3年10月18日、讃岐本門寺蔵
2、正応5年10月13日、宮城上行寺蔵
3、正応年間、山梨正法寺蔵 >>432
いやー、日蓮の花押を自由に切り貼りするカルト教団の妄信儲に相応しい発言ですねwwww
日蓮花押も自由に切り貼りするくらいですから
そのくらい自由な気風がある御宗旨とでもいいたのでしょうか?wwww
ゼロか100、云々ありますが
そもそも正宗自体がその0か百の如く見方で他の一切を邪宗と云う、独善排他教義を掲げてきたくせに何をほざいてるんですかね
この頭割れwwwwwww
>>441の本尊七箇相承には「之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」とありますけど
大石寺歴代、特に上代は大僻見不相伝って事ですか?wwwwwwwwwww >>432
自分の坊号忘れて捏造する頭割れ坊主(産湯相承事、偽書)を妄信してる>>432の頭割れのが
診察受けた方がいいと思うけどw
遺文の真偽も問わないなら、日蓮臨終正念起請文事は否定するなよ頭割れw
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/52121276.html 流石、日蓮花押を自由に切り張りする偽書根本の捏造教団
日華・日仙の御本尊書写のこと。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/01/10/000000
整理すると「時の法主が在世中に相承をまだ受けていない一介の僧侶が、その高徳や博学に関わらず、御本尊書写をすることは今まで一度もなかった」ということになります。
ところが、大石寺の歴史を繙いてみれば、例えば日興の在世中に日目も御本尊書写をしていますし、またそれ以外の本六・新六の弟子たちの中にも御本尊書写をしている事実がわかります。
具体的に挙げてみましょう。
〜中略〜
つまり日華も日仙も大石寺が主張するところの「血脈付法」の弟子ではないはずです。
このことについて、大石寺や日興、日目等がこれらを批判したという史料は存在しません。
つまり先ほど挙げた「まだ相承を受けていない一介の僧侶が法主在世中に御本尊書写を行うことはあり得ない」というのは、大石寺の後世に作られた教義に過ぎず、
日興在世中に「唯授一人の血脈」という法義など存在しなかったということになります。 ID:hTbUfPAb
やれやれ、ほんと頭の悪い長文を並べて、ご苦労さんw
おまえくらい頭の悪い奴にどう説明したら理解させることができるか悩むわ〜www >>438
>斯かる計測を行えばわかることだが、130舗足らずの御筆大漫荼羅のなかで、ただ1舗も「本門戒壇の大御本尊」と言われる彫刻と相似関係にあるものはない。ただ、日禅授与漫荼羅のみが相似しているのである。
「相似」?
「似ている」じゃ足りねーよw
その以前俺に完全論破された犀角独歩だが
「日禅授与本尊に紙を置いて文字を写し取って別の板に貼って刻んだものが本門戒壇大御本尊だ」
と主張しているはずだが?
その方法で偽造するなら、2つの本尊の文字の形もサイズも必ず 完 全 に 一致する
「形が似ている」だの「比率が同じ」だのでは、根拠として足りない
>そして、ここでも大きな勘違いをしている。彫刻本尊は、日禅授与漫荼羅を臨模・作為した模造品なのであって、単なる模写ではない。ありもしないものをでっち上げた贋作である。正式に模写であることを示す善意に満ちた代物ではない。
勘違いしているのは、この駄文を引用してきたバカとこの犀角独歩だ
「ある本尊を見て真似して別の本尊を書いた」というだけなら、それは昔から日蓮系宗派で普通に行われていることであって、偽造でも何でもないw
だいたい、犀角独歩の主張では、
「日禅授与本尊に紙を置いて文字を写し取って別の板に貼って刻んだものが本門戒壇大御本尊だ」
ということだったはずだが、いつの間にやら主張している偽造の方法が「模写」に切り替わっている
自己矛盾も甚だしいw >>438
日禅授与本尊と本門戒壇大御本尊の中央の首題のサイズが同じ?
そもそも、こんないいかげんな推論で主張を展開するような人物(犀角独歩)が現物のサイズに合わせて公正に画像を並べているかどうかも怪しいものだがw
百歩譲って、犀角独歩が誠実に2つの本尊のサイズに合わせて画像を縮尺して提示しているとしよう
接近している時期に同一人物が書いた文字のサイズがほとんど同じ大きさになるのは、別に珍しいことではない
学生時代の自分のノートを見返してみればいい
違う教科のノートを比較しても、文字の大きさがほとんど同じであることが普通だと思うがw
頭悪すぎwww >>439
実物の写真さえ見たことが無い御本尊について、よくここまで推測を根拠に書けるものだ
さすが、特級のバカは、バカの程度が違うw
こいつの筆跡鑑定能力を鵜呑みにするどこかのバカも、相当だけどなwww
あと、日目上人の墓については、遺骨が大石寺に無いから造っていないだけのことだろ
日目上人を供養していないわけでもあるまいし
くだらなすぎるw >>449
架空の年号書く程の馬鹿はそうそういないだろwwwwwwwww 犀角独歩の素人筆跡鑑定を根拠にした暴論については、バカバカしすぎるので、もう回答しない
ここまで反論した内容で、犀角独歩がいかに頭の悪い人間かよくわかっただろうと思うw
ちなみに筆跡鑑定は、プロの筆跡鑑定であっても、日本の裁判所で証拠として役立つことはほとんど無い
信頼できる証拠と思われていないからだw
なのに、素人の筆跡鑑定を根拠にして、よくここまで騒げるものだwww >>450
単純に富士宗学要集の誤記だとは考えないんだな
× 乾元四年
○ 嘉元四年
ほんと、おまえ、頭悪すぎwww >>452
いや、何度もしつこく画像を提示されても、>>448に書いたとおりだからw
自分の学生時代の英語のノート、読み返してみろよ
同じ単語は、文字1つ1つの大きさも文字の間隔も、同じように書かれているのが普通だからw
ほんと頭悪いなwww >>453
誤記以前に年号先取り偽書とか自身満々に公開する偽書捏造教団だから
疑われるのが先にきまってるだろwwwwwww
誤記なら証拠だしてね >>453
宗祖の日蓮自体が自身の坊号間違える上に、捏造までする頭割れだから、(産湯相承事)誤記でもしかたないのかな?wwwwwwwwww
ま、平然と花押の切り張りまでしてんだから、疑われて当然だと思うけどw
証拠やはよ出せよwwwwwww >>454
真面目にレスする前に眼科いった方がいいだろw 次に、御本尊七箇相承についての反論
え〜っと、御本尊七箇相承のどこに
「ここに書かれている内容を全て守って書け」
なんて指示があったっけ?
内容をよく読めボケ
「御本尊のこの書式についてはどうなんですか?」
という質問に対する回答が羅列されているだけの、いわばQ&A集だ
なので、御本尊七箇相承を全て満たしていない御本尊があっても、問題は無い
それがわかっているから、はるか後世の江戸時代の日寛上人も十界が全てそろっていない御本尊を書いているわけで、それがおまえら創価の偽造本尊の原本だ >>459の本尊七箇相承には「之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」とありますけど? >>459「之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
因みに自分は創価カルト儲じゃないんで、日寛の改竄文字曼荼羅がどうのこうの言われたところで
そりゃ偽書根本の正宗カルト御三家なんだから、正宗の伝統に習ったんじゃないんですか?
くらいにしか思わんのだけどwwwwwwwwww
針金宗でしたっけ?
すぐに折れる、曲がる、錆びる
って事で針金宗と云われてたらしいですねwwwwwww >>455
筆跡鑑定の「証拠能力」は認められるよ?
あのな、おまえってほんと無知だから、「証拠能力」という法律用語の意味を勘違いしているけど、「証拠能力がある」っていうのは「証拠として信頼できる」という意味じゃなくて、「証拠として裁判に出せる」というだけの話だぞ?w
「証拠として信頼できるかどうか」の問題は「証明力」と言うんだよwww
「証拠能力」と「証明力」は全然違う
よく調べてから反論しろボケwww >>461-462
で、それが書かれていない日蓮正宗の御本尊がどこにあるの?w あと、俺がいつ産湯相承事を根拠にして自論を述べた?
頭悪すぎで覚えていないのか?w >>459
書くべしってかかれてますけど?
頭割れカルトお得意の文底読み?
逆伏のブログ主もいってたが、七箇相承なのに七箇じゃない、ある意味頭割れカルトらしい相伝書
と云うか、好き勝手に書いていいなら相伝書ですらねーだろwwwww
ほんと頭割れてんなwwwwwwww
七、日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆を悉聖人の化身と思ふ可きか。
師の曰はく法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の五大なり、法界即日蓮、日蓮即法界なり、当位即妙不改・無作本仏の即身成仏の当躰蓮花・因果同時の妙法蓮華経の色心直達の観、心法妙の振舞なり、又本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし、
若し日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん、上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか。
一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。 「証拠能力」と「証明力」の違いも知らずに有頂天になって反論するバカが、何の真実を見抜いたつもりなんだろうな?
今すぐ豆腐の角にダッシュで頭から突っ込んで死んでいいぞw >>465
嘘と虚偽、捏造がお得意なカルト教団の一例でしょ
それとも産湯相承事を否定する立場か?、日蓮本仏論の論拠ともされる偽書だけど? >>466
おまえが引用しているその文の中に既に答えが書かれているんだが
「本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし」
つまり、日蓮大聖人が書かれたように御本尊を書写しなさいとの指示だから、現存する日蓮大聖人の御直筆本尊のどれかと同じ書式であれば条件は満たされることになる
早い話が、日蓮大聖人の正統と言える人物が書いたかどうかが問題になるだけなんだよ
わかれやバ〜〜〜カwwwwww >>468
日蓮宗が日蓮大聖人の御直筆と認定している文書だけを根拠にしても、いわゆる日蓮本仏論は成立する
産湯相承事は必要ない >>470
真蹟で開目抄以外に根拠になるものに何がある?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1246595027
A「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」
(『開目抄』録内二ノ1 曾存 時代写本 日興 北山本門寺)
「日蓮本佛論」に「於いては、Aの『開目抄』の言葉を以って、本抄を「人本尊開顕の書」であると主張し、日蓮が『龍之口法難』【文永八年(1271年九月十二日】に上行菩薩の再誕と言う迹を払って、
「久遠元初の御本佛」としての本地を開顕したとする『発迹顕本』という思想の根拠としている。
しかし、日蓮が【文永十一年(1274年)十二月日】に身延で図顕した『万年救護之大本尊(国指定重要文化財)』の讃文には「上行菩薩出現於世始宣之」と
「上行菩薩が出現して始めて此の大本尊を弘通する」という意味の言葉が明記されている。
然らば、それに先立つ【文永九年(1272年)二月】に著された『開目抄』に「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」と記述されていたとしても、必ずしもこの文面を以って日蓮が本佛宣言をしたとは言えない。
日蓮の弘安年間に記された遺文には、自らを上行菩薩の使いである旨の表記は散見されるが、日蓮正宗の主張による【弘安二年(1279年)十月十二日】の『本門戒壇大御本尊』図顕の前後に書かれた遺文には、
自らが「末法の御本佛」であるという自覚を窺わせるものはありません。
【弘安二年(1279年)九月】に著された『寂日房御書』には「日蓮は此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしはこれなり、此の山にてもをこたらず候なり」(外受ノ二)、
また【同年の十二月三日】の『右衛門太夫殿御返事』には「日蓮は上行菩薩にも似たり、此の法門を弘むる故に」(録外二十五ノ5)と記されています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています