江戸時代の有名作家
曲亭(滝沢)馬琴は、庭に植えた梅の実を採って、梅干しを作る様子を「馬琴日記」に記しています。
 
文政10年(1827)6月3日 
 丙午 快晴 夕方より少し風立つ 薄曇
 1  昼前 宗伯、神田須田町 池田やへ罷越(まかりこし)、梅2斗5升(45リットル)紫蘇5わ買い取り、池田屋 こぞうに荷(かつが)せ、昼飯前に帰宅
 1 其の後、予(よ)、并(ならび)に宗伯手伝い、庭の梅、野梅・豊後梅等の実、これを採る。ぶんご3升5合(6.3リットル)・野梅2升(3.6リットル)あった。野梅の枝、庇(ひさし)へかかり候分、ことごとくこれを結ぶ。
 紅梅9、青軸2、鴬宿梅2の実もこれをとる。
 1  右の梅、惣(すべて)合せ3斗5升、お百これを着け畢(おわる)。むらこれを手伝。物置の薪過半とり出し、縁脇下へおく、予もこれを手伝い畢(おわる)

(注 宗伯:馬琴の長男 お百:馬琴の妻 むら:女中さん?)

馬琴は3斗5升(63リットル)の梅の実を漬けています。これはかなりの量です。
庭に梅の木を何本も植えていたようです。
この日記にでてくる「豊後」「野梅」「紅梅」「青軸」「鴬宿梅」は、すべて梅の品種名で、現在も栽培されています。