針による暗殺がドラマなどになったのはアンタッチャブルなどの海外ドラマが先だな。
それが邦画に取り込まれた。
特に森一生監督は、不知火検校やある殺し屋、ある殺し屋の鍵と、
針による暗殺をどんどん見せた。
必殺の元になった仕掛人梅安は、既に時遅く、それらの作品にインスパイアされた
ものとしか思えない三流の読物だった。
必殺仕掛人が映画になり、テレビになったとき、そのターゲットの背後に迫る演出や
カメラワークは、まさに森一生監督のある殺し屋そのものだった。
ある殺し屋の続編である、ある殺し屋の鍵では、主演の市川雷蔵は更に色々な工夫を凝らし
ターゲットを仕留めてゆく。
その辺りも必殺仕掛人で梅安が風呂桶、床下、天井などから現れる演出の元になっている。
要はパクリのパクリと言えるのが必殺であるし、更に漫画に至ってはブラックエンジェルズは
前作の読み切りハート&ハードの頃からしてパクリのパクリのパクリといえる事になる。
世の中には時の経過のうちに忘れられたものを覚えているものが、パクリの上塗りを知らずに
繰り返しているようなものなのだ。